花蓮の復興支える日本統治時代の橋、台北と結ぶ「大動脈」 台湾東部沖地震3カ月

AI要約

台湾東部沖地震から3カ月が経ち、被災地の花蓮県と台北を結ぶ幹線道路で古い橋が活用され、復興を支えている。

地震で崩落した橋に代わって、1930年ごろに建設された第7号橋が急遽使用され、大型トラックの通行も再開された。

現在は第7号橋が一時的な登板となっており、復興の一助として活躍している。年末までに崩落した橋を建て直す予定だ。

花蓮の復興支える日本統治時代の橋、台北と結ぶ「大動脈」 台湾東部沖地震3カ月

台湾東部沖地震から3日で3カ月となった。被災地の花蓮県と政治経済の中心地・台北を結ぶ大動脈の幹線道路では、地震で崩落した橋に代わって日本統治時代に建設された古い橋が「リリーフ登板」し、現在も花蓮の復興を支え続けている。

6月下旬、花蓮県中心部から北東部の宜蘭県に向かう道路を車で30分ほど走ると、1930(昭和5)年ごろに建設された「第7号橋」に到着した。台北に向かう最短ルート上にあり、早朝ながら交通量は少なくない。

先の地震では第7号橋に隣接する71年完成の「下清水橋」に岩石が直撃し、橋が崩落。すでに引退状態だった第7号橋を急遽補強して使用し、5月末からは大型トラックの通行も再開した。平日の日中の通行は1日3回(20分から1時間)に限定されているものの、花蓮はマイカーで訪れる観光客も多く、復興の一助となっている。年末までに下清水橋を建て直す予定で、第7号橋は一時的な登板となりそうだ。

花蓮県政府の幹部は第7号橋について「これだけ多くの天災を経てまだ問題なく使えるのは、当時の技術が高く場所の選定もよかったからだ」と分析。地元のドライバーも「この橋がなければ、台北との往来はかなり遠回りしなければならなかった」と評価する。(花蓮 西見由章)