被災地ブチギレ!岸田官邸の無為無策、半年たつのに震災直後のまま「倒壊した家、水なし、道路ガタガタ」

AI要約

半年前の能登半島地震から、3度目の被災地入りを果たした筆者。被災地は、まだ復興の兆しが見えない状況が続いている。

過去最大規模のマグニチュード7.6の地震により、多くの家屋倒壊や火災、津波被害、孤立した集落が続出した。そして、半島全体にわたる大規模な土砂崩れや道路崩落も引き起こされた。

メディアの報道やSNS情報に頼らず、現地の状況を確かめた筆者は、被災地では水や道路などのインフラ復旧が進まず、生活が困難な状況が続いていることを目の当たりにした。

被災地ブチギレ!岸田官邸の無為無策、半年たつのに震災直後のまま「倒壊した家、水なし、道路ガタガタ」

 能登半島地震から半年。イトモス研究所の小倉氏が3度目の被災地入りで見たものは、震災直後のままの被災地だった――。(イトモス研究所所長 小倉健一)

● 震災から6カ月、 3度目の被災地入り

 2024(令和6)年1月1日午後4時10分、能登半島で、半島北東部の珠洲市を震源とするマグニチュード7.6の大地震が発生した。この地震は、半島西岸に位置する輪島市門前町と志賀町富来地区で最大震度7を記録。珠洲市、能登町、輪島市、穴水町、七尾市といった半島全域にわたり、震度6強の強い揺れが襲ったのだった。

 この地震により、数多くの家屋が倒壊し、裏山が崩れ落ちた。輪島市中心部では大規模な火災が発生し、半島の東南部沿岸は津波に襲われた。逃げ遅れた多くの人々が犠牲となり、道路の崩落や大規模な土砂崩れが各地で発生。多くの道路が通行不能となり、各地の集落が孤立した。

 この地震は、半島北部の沿岸地域にある活断層が活動したことにより発生した。マグニチュード7.6という規模は、過去100年間に日本で発生した活断層地震の中でも最大規模となった。石川県で震度7を観測したのは初めてのことだ。さらに、半島の西岸から北岸、そして東岸にわたる約150kmの地盤が最大4mも隆起し、多くの漁港に大きな打撃を与えた。

 筆者にとっては、3度目の被災地だ。1度目は、発災直後の1月7日。2度目は、発災1カ月後の2月1日。そして、今回、6月20日だ。

● 山本太郎議員がカレーを食べて 批判されていたころ

 1度目の取材当時は、道路インフラがズタズタにされていて、多くの取材陣が被災地入りしていたものの、ボランティアの受け入れもままならず、政治家の山本太郎参議院議員が被災地でカレーを食べて大きな批判を受けていたころだ。

 筆者も被災状況を世に伝えるメリットを強く感じてはいたものの、取材範囲を限定し、金沢から近い志賀町に知人を頼って被災地入りすることにした。志賀町には原発があり、原発内で火災発生情報(後に火災は発生していないことが分かった)もあったので、政府情報や報道、SNSをうのみにせず、現地の状況を取材したのだった。実際に現地入りしてみると、まったくの平穏な状況が見て分かった。

 2度目は列車が復旧したこともあり、七尾市まで足を延ばした。七尾駅までは金沢駅から列車で行けたのだが、その先の、のと鉄道は止まったままだった(今回の取材で、動いているのを視認)。改札を出たところには仮設のトイレがずらっと並べられていた。駅前の駐車場には日本テレビ系列のテレビ局の中継車がいた。駅前のニトリとドン・キホーテの入った商業ビルのトイレは使えなかった。水が上下水道共に、まだ復旧していなかったからだ。

 街を歩いてみたが、家族連れが楽しそうに笑いながら歩いていたのを覚えている。発災から1カ月たって、多少、余裕が出てきたのかなと感じた。銭湯以上、スーパー銭湯未満の施設には長い行列ができていた。水はどこから調達しているのかと思ったが、井戸水ということだった。水道復旧のための作業車が忙しそうに稼働しており、震災で壊れた建物はそのままだった。

 さて、そして今回だ。1月1日の震災から6カ月以上経過している。どの程度の復興ができているのだろうか。