# 沖縄戦
![20万人が命落とした地上戦から79年 沖縄慰霊の日](/img/article/20240623/667763ae45fea.jpg)
20万人が命落とした地上戦から79年 沖縄慰霊の日
沖縄は23日、第二次世界大戦末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」を迎えた。日米両軍の激しい戦闘で、住民を含む約20万人が命を落とした地上戦から79年。沖縄本島南部の慰霊碑では、犠牲者を悼み、手を合わす人々の姿が早朝から見られた。 最後の激戦地だった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに
![沖縄戦の元学徒に78年越しの卒業証書 「学友の無念を忘れてはならない」 世界平和の文字を書き記す](/img/article/20240623/6677599f1fbc0.jpg)
沖縄戦の元学徒に78年越しの卒業証書 「学友の無念を忘れてはならない」 世界平和の文字を書き記す
沖縄戦の元学徒、宮城政三郎さんが、戦時中に疎開先の台湾で通っていた学校から78年の時をこえて卒業証書を授与されました。太平洋戦争中、疎開先の台湾で学徒動員された宮城政三郎さんに21日、現地で通っていた高雄高級中学校から名誉卒業証書が授与されました。宮城さんは1945
![沖縄79年目の慰霊の日 「平和の礎」に込められた理念とは?~建立に携わった戦争体験者が語る~](/img/article/20240623/66775c45ac830.jpg)
沖縄79年目の慰霊の日 「平和の礎」に込められた理念とは?~建立に携わった戦争体験者が語る~
6月23日、沖縄は79年前の沖縄戦で組織的戦闘が終わった日とされる「慰霊の日」を迎えました。最後の激戦地・糸満市摩文仁の平和祈念公園にある「平和の礎」には、沖縄戦などで亡くなった24万人余りの名前が刻まれています。国籍や敵味方、軍人と民間人の区別なく、犠牲者を追悼する「平和の礎」に込められた理
![ニュースワード「沖縄戦」](/img/newspic.png)
ニュースワード「沖縄戦」
沖縄戦 太平洋戦争末期、沖縄であった国内最大の地上戦。米軍は1945年3月26日に慶良間諸島に、4月1日に沖縄本島中部に上陸し、日米両軍による激しい戦闘が展開された。日本軍は、本土決戦までの時間を稼ぐため、住民が避難していた南部に撤退。多くの住民が戦闘に巻き込まれた。6月23日に日本軍司令官
![沖縄戦終結79年、不戦誓う 慰霊の日、犠牲20万人追悼](/img/newspic.png)
沖縄戦終結79年、不戦誓う 慰霊の日、犠牲20万人追悼
沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で命を落とした日米双方の約20万人をしのぶ「慰霊の日」を迎えた。旧日本軍による組織的戦闘が終わった日とされ、今年で79年。最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園で、不戦を誓い、恒久平和を願う沖縄全戦没者追悼式(県など主催)が営まれる。式には岸田文
![県外出身兵も6万人超が戦死 高齢遺族にのしかかる沖縄との距離](/img/article/20240623/6677320a72a81.jpg)
県外出身兵も6万人超が戦死 高齢遺族にのしかかる沖縄との距離
日米両軍による激しい地上戦となった第二次世界大戦末期の沖縄戦では、戦闘に巻き込まれた住民だけでなく、全国各地から出征した日本軍の兵士も6万人以上(推計)が命を落とした。今年で79年。その遺族も高齢となり、これまでのように慰霊のために沖縄を訪れることが難しくなっている。海軍兵だった父を沖縄で亡
![沖縄戦を指揮した日本軍司令官の孫、平和学習の講師に 南部撤退で住民の犠牲が拡大「祖父は沖縄を本土防衛の防波堤と考えていた」](/img/article/20240623/66772ab1ec529.jpg)
沖縄戦を指揮した日本軍司令官の孫、平和学習の講師に 南部撤退で住民の犠牲が拡大「祖父は沖縄を本土防衛の防波堤と考えていた」
沖縄戦を指揮した第32軍の牛島満司令官の孫牛島貞満さん(70)が19日、沖縄県豊見城市立豊崎中学校で平和学習を行った。牛島さんは、第32軍が決定した南部撤退により軍民混在の状況で住民犠牲が広がったことを解説。牛島司令官は本土決戦が必ずあると思っており、「沖縄は本土防衛のための防波堤という考え
![沖縄戦を指揮した牛島司令官の軍服を展示 陸自、旧日本軍との連続性示す 施設を改修中で今後の扱いは「未定」](/img/article/20240623/667726029f715.jpg)
沖縄戦を指揮した牛島司令官の軍服を展示 陸自、旧日本軍との連続性示す 施設を改修中で今後の扱いは「未定」
沖縄の陸上自衛隊第15旅団が、沖縄戦を指揮した牛島満・日本軍司令官の軍服を那覇駐屯地内の展示施設に陳列していたことが22日までに分かった。旅団によると施設は今月から一般公開を休止してリニューアル作業をしていて、今後の軍服の取り扱いは未定。沖縄住民に多大な犠牲を強いた責任者をしのぶ遺品の展示は
![「人をあやめないで」平和への思いを7分間に込めた95歳の元学徒 沖縄戦で看護動員 手術で切断された負傷兵の手足を壕の外に捨てた経験も](/img/article/20240623/66772606299e6.jpg)
「人をあやめないで」平和への思いを7分間に込めた95歳の元学徒 沖縄戦で看護動員 手術で切断された負傷兵の手足を壕の外に捨てた経験も
[戦後80年へ] 「白梅同窓会」副会長の武村豊さん(95)が20日、日頃利用している那覇市の安謝老人デイサービスセンターで、「白梅学徒隊」として沖縄戦に動員された体験を語った。利用者や保育園児ら約50人を前に、「家族や友達が一人ずつやられていく。それを私たちは目の前で見てきたんで
![きょう沖縄「慰霊の日」 戦後79年 犠牲者悼み恒久平和を誓う【知事メッセージ全文あり】](/img/article/20240623/667721555e7b6.jpg)
きょう沖縄「慰霊の日」 戦後79年 犠牲者悼み恒久平和を誓う【知事メッセージ全文あり】
沖縄は23日、住民を巻き込んで20万人超が犠牲となった沖縄戦から79年の「慰霊の日」を迎えた。県内各地で犠牲者を悼む催しが営まれ、恒久平和を誓う。 糸満市摩文仁の平和祈念公園では、午前11時50分から県や県議会が主催する沖縄全戦没者追悼式が開かれる。正午の時報に合わせて黙とうし
![きょう沖縄慰霊の日 祈り深く戦後79年 世界の恒久平和願う](/img/article/20240623/6676e9188ef20.jpg)
きょう沖縄慰霊の日 祈り深く戦後79年 世界の恒久平和願う
沖縄は23日、沖縄戦の組織的戦闘が終結したとされる「慰霊の日」を迎えた。多くの一般住民を巻き込み、悲惨な地上戦などが展開された沖縄戦から79年。激戦地となった沖縄本島南部の糸満市摩文仁にある「平和の礎(いしじ)」をはじめ、沖縄県内各地の慰霊塔や戦跡にはこの日、多くの人々が訪れ、世界の恒久平和へ
![79年目、犠牲者に鎮魂の祈り 「慰霊の日」前に250人 沖縄](/img/article/20240622/6676b831f2fec.jpg)
79年目、犠牲者に鎮魂の祈り 「慰霊の日」前に250人 沖縄
太平洋戦争末期の沖縄戦犠牲者を追悼する79年目の「慰霊の日」を前に、最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念堂で22日、前夜祭が開かれた。 遺族ら約250人が参列し、犠牲者に祈りをささげた。 午後7時すぎに「平和の鐘」が響くと、遺族代表が祈念堂前で鎮魂の火
![沖縄戦終結79年「慰霊の日」 22日に前夜祭、20万人追悼](/img/newspic.png)
沖縄戦終結79年「慰霊の日」 22日に前夜祭、20万人追悼
沖縄県は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日から79年の「慰霊の日」を迎える。政府は近年、台湾有事などを念頭に軍備増強を続けており、県民の4人に1人が犠牲となった凄惨な地上戦の記憶と重ね、懸念を深める県民は多い。最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市では
![日本兵に「何度も脅された」 激戦地、糸満市での体験語る 88歳の仲間さん・沖縄慰霊の日](/img/article/20240622/667655a93af2d.jpg)
日本兵に「何度も脅された」 激戦地、糸満市での体験語る 88歳の仲間さん・沖縄慰霊の日
太平洋戦争末期の沖縄戦で、最後まで激戦が続いた沖縄県糸満市。 23日の沖縄慰霊の日を前に、同市の仲間進栄さん(88)が79年前を振り返り、「日本兵に何度も脅された」と語った。 1945年4月、米軍が沖縄本島に上陸。仲間さんの母や妹らは本島北部へと避難した。仲間さん
![「おばあちゃん」がつないだ奇跡 Anlyが心に刻む言葉とは? 沖縄、あす「慰霊の日」](/img/article/20240622/66761633bc5cb.jpg)
「おばあちゃん」がつないだ奇跡 Anlyが心に刻む言葉とは? 沖縄、あす「慰霊の日」
沖縄は6月23日、「慰霊の日」を迎え、島じゅうが平和への祈りに包まれる。太平洋戦争末期、激しい地上戦で県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦。6月23日は日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日だ。 「とっても奇跡的な言葉ですよね」。代表曲「カラノココロ」などで知られる沖縄出身の
![名護博物館で「やんばるの沖縄戦」 慰霊の日に合わせて](/img/article/20240621/66752bf7c088f.jpg)
名護博物館で「やんばるの沖縄戦」 慰霊の日に合わせて
企画展「名護・やんばるの沖縄戦~ものからたどる沖縄戦『あのとき、私たちのまちは戦場だった』~」が6月17日、名護博物館(名護市大中4、TEL 0980‐54‐8875)で始まった。(やんばる経済新聞) 6月23日の「慰霊の日」に合わせて開く同展。沖縄本島北部地域での沖縄戦をまと
![県系人通訳の投降呼び掛けで救われた命 子どもたちが地域の沖縄戦を学ぶ うるま市](/img/article/20240621/66751db93683b.jpg)
県系人通訳の投降呼び掛けで救われた命 子どもたちが地域の沖縄戦を学ぶ うるま市
「慰霊の日」を前に地域の沖縄戦について学ぶ平和集会がうるま市の小学校で開かれました。うるま市の与那城小学校では、毎年慰霊の日を前にしたこの時期に沖縄戦当時の地域の様子を子どもたちに知ってもらおうと平和集会を開いています。全校児童やこども園の園児が参加した集会では、津堅島での体験談
![岸田首相、沖縄戦追悼式出席へ](/img/newspic.png)
岸田首相、沖縄戦追悼式出席へ
岸田文雄首相は23日、沖縄県を訪れ、太平洋戦争末期に多くの住民を巻き込んだ沖縄戦の犠牲者を悼む県主催の式典に出席する。 政府が21日に発表した。
![首相、23日に沖縄訪問へ 「慰霊の日」戦没者追悼式に出席](/img/newspic.png)
首相、23日に沖縄訪問へ 「慰霊の日」戦没者追悼式に出席
政府は21日、岸田文雄首相が23日に沖縄県を訪問すると発表した。糸満市の平和祈念公園で営まれる沖縄全戦没者追悼式に出席し、あいさつする。 6月23日は1945年に太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が終結した日とされ、犠牲者を悼む「沖縄慰霊の日」となっている。
![沖縄戦の犠牲拡大させた「南部撤退」研究重ねる米国の若者…生き残った男性「知る限りのこと伝えたい」](/img/newspic.png)
沖縄戦の犠牲拡大させた「南部撤退」研究重ねる米国の若者…生き残った男性「知る限りのこと伝えたい」
武装していない一般住民が巻き込まれる戦争を二度と繰り返してはならない――。79年前の沖縄戦で起きたことを広く伝えたいと、国や世代を超えて動き出した若者たちがいる。 「『南部撤退』が決定された第32軍司令部壕を、広島の原爆ドームのように世界文化遺産に登録するという考えをどう思いま