「おばあちゃん」がつないだ奇跡 Anlyが心に刻む言葉とは? 沖縄、あす「慰霊の日」

AI要約

沖縄は6月23日、「慰霊の日」を迎え、島じゅうが平和への祈りに包まれる。太平洋戦争末期、激しい地上戦で県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦。6月23日は日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日だ。

代表曲「カラノココロ」などで知られる沖縄出身の歌手Anlyさん(27)が、沖縄戦と向き合った過去や「おばあちゃん」とのゆんたくを通じて感じた思いを語る。

沖縄戦の生き残りである「おばあちゃん」から得た教訓を胸にAnlyさんは、自身の音楽活動や人生において前向きに生きることの大切さを語る。

「おばあちゃん」がつないだ奇跡 Anlyが心に刻む言葉とは? 沖縄、あす「慰霊の日」

  沖縄は6月23日、「慰霊の日」を迎え、島じゅうが平和への祈りに包まれる。太平洋戦争末期、激しい地上戦で県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦。6月23日は日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日だ。

 「とっても奇跡的な言葉ですよね」。代表曲「カラノココロ」などで知られる沖縄出身の歌手Anlyさん(27)が、そう心に刻む言葉がある。

 沖縄本島北部からフェリーで約30分、1周わずか22キロの伊江島で生まれ育ったAnlyさん。高校進学で島を離れ、デビューを目指して今の事務所の社長宅で音楽制作に励んだ。

 そして、ご飯を作ってくれ、ゆんたく(おしゃべり)相手になってくれる社長の母親を「おばあちゃん」と呼んで慕った。

「おばあちゃん」は沖縄戦で看護要員として動員され、多くの犠牲者が出た「ひめゆり学徒隊」の生き残りだ。時々、沖縄戦のことを話してくれた。

 育ての親でもある伯母の様子を見に首里の家に戻ったとき、戦火が激しくなった。仲間と合流できず、伯母ら親族と激しい爆撃の中を必死で本島南へ向かって逃げた。

 ついに逃げ場がなくなり、米軍が目の前に迫っていた。死を覚悟して手りゅう弾を握ったとき。伯母の声が飛んできた。「それを持っていたら撃たれる。置きなさい」。そしてこう続けた。「今は、生きよう」

 当時は「鬼畜米英に捕まるぐらいなら自ら死を選べ」という思想が植え付けられていた時代。Anlyさんは感慨深げに振り返る。「おばあちゃんが生きていなかったら事務所の社長も生まれていないし、私がこうして音楽をする環境もなかった。いろんな人の諦めなかった思いが自分につながっている」

 2022年にはそんな「おばあちゃん」とのゆんたくをきっかけに、沖縄戦と向き合った歌「Alive」を発表した。

 Anlyさんにとって「慰霊の日」の記憶といえば小学校の廊下に張り出された戦場の写真だ。焼け焦げた土地や戦車、死体の写真もあった。