# 慰霊

上川外相、カンボジア訪問 共同通信記者の慰霊碑に供花
7時間前

上川外相、カンボジア訪問 共同通信記者の慰霊碑に供花

【AFP=時事】上川陽子(Yoko Kamikawa)外相は6日、カンボジアの首都プノンペンを訪れ、共同通信(Kyodo News)の石山幸基(Koki Ishiyama)記者の慰霊碑に供花した。 石山記者は1974年1月20日、カンボジア内戦の取材中に命を落とした。

幼い命、精一杯生きた…ため池決壊で犠牲の孫の慰霊碑を自宅跡に建立
8時間前

幼い命、精一杯生きた…ため池決壊で犠牲の孫の慰霊碑を自宅跡に建立

  僅わず かな時節を 精一杯せいいっぱい 生きた命の証――。2018年の西日本豪雨で初孫の甲斐 朱莉あかり ちゃん(当時3歳)を亡くした祖父・ 恭隆やすたか さん(75)は昨秋、土石流に襲われた広島県福山市の自宅跡地に慰霊碑を建て、先月末、七回忌の法要を営んだ。翌日、朱莉ちゃんがお気に入りだ

京アニ放火事件を伝える碑、14日午後から一般公開 宇治市の公園内
2024.07.05

京アニ放火事件を伝える碑、14日午後から一般公開 宇治市の公園内

 36人が犠牲になった2019年の京都アニメーション放火殺人事件で、京アニや遺族有志などでつくる会は5日、京都府宇治市の公園内に事件を伝えるために建立する碑を14日午後2時ごろ以降に一般公開すると明らかにした。14日午前は同社関係者らによる式典が行われるため、同社は「一般公開前の来訪は控えてほ

元水俣市長・吉井正澄さん 最期のメッセージに託した思い 今こそ読まれるべき責任認めた1994年の「決断の式辞」
2024.07.05

元水俣市長・吉井正澄さん 最期のメッセージに託した思い 今こそ読まれるべき責任認めた1994年の「決断の式辞」

 5月31日に92歳で亡くなった元水俣市長、吉井正澄さんのご家族が西日本新聞水俣支局を訪ねてこられたのは、吉井さんが入院する2日前、同14日だった。 差し出された封書の中身は「小さな蛮勇最終回」と題した手記。吉井さんが本紙に寄せた熊本県版コラム(2020年11月~21年9月)の“

実刑判決で「頭が真っ白に」 法廷に両親の涙 静岡バス置き去り死
2024.07.04

実刑判決で「頭が真っ白に」 法廷に両親の涙 静岡バス置き去り死

 「『執行猶予』という言葉が判決文になかったのが分かった瞬間に、頭が真っ白になった。自分でも訳が分からず、何も考えられなかった。ただこれで『裁判がようやく終わった』と伝えることができる」。判決後に静岡市内で開かれた記者会見で、河本千奈ちゃんの父親(40)はほっとした表情を浮かべた。

九州豪雨から4年 熊本・球磨で追悼 「母助けられず、今もきつい」
2024.07.04

九州豪雨から4年 熊本・球磨で追悼 「母助けられず、今もきつい」

 熊本を中心に九州5県で災害関連死を含め死者・行方不明者81人を出した2020年7月の九州豪雨は4日、発生から4年となった。被災地では朝から遺族や住民らが花を手向けたり、黙とうをささげたりして犠牲者をしのんだ。 熊本県南部を流れる球磨(くま)川などが氾濫し、特別養護老人ホーム「千

高松空襲から79年 慰霊堂で犠牲者の追悼式 遺族の参加者は年々減少「一緒に学んでいけたら」
2024.07.03

高松空襲から79年 慰霊堂で犠牲者の追悼式 遺族の参加者は年々減少「一緒に学んでいけたら」

 高松空襲から、7月4日で79年です。高松市にある慰霊堂で3日、犠牲者の追悼式が行われました。 高松市の六角堂で開かれた追悼式には、遺族や亀阜小学校の児童ら約150人が出席しました。 1945年7月4日未明、高松市中心部は、アメリカ軍による空襲で約8割が焼け、135

韓国外交部「佐渡金山慰霊施設の建設は日本のアイデア」…日本メディアに反論
2024.07.03

韓国外交部「佐渡金山慰霊施設の建設は日本のアイデア」…日本メディアに反論

韓国政府が新潟県佐渡金山に朝鮮人労働者慰霊施設を設置するよう要求したという日本メディアの報道に対し、韓国外交部が「日本のアイデアの一つ」と否定した。日本政府は日帝強占期朝鮮人強制労役現場である佐渡金山に対して世界遺産登録を推進し、日帝強占期の部分を抜いた16~19世紀中盤に期間を限定して物議を

原爆投下から79年…岡山市で被爆者会の慰霊祭 県内被爆者の平均年齢は86.5歳【岡山】
2024.07.01

原爆投下から79年…岡山市で被爆者会の慰霊祭 県内被爆者の平均年齢は86.5歳【岡山】

広島と長崎に原爆が投下されて2024年8月で79年となります。その原爆で亡くなった人たちを悼む慰霊祭が岡山市で行われました。慰霊祭には岡山県被爆者会のメンバー約30人が集まり、被爆者の霊を慰めようと40秒の黙とうをささげました。このあと廣信靖之会長が慰霊の言葉を述べ

小学校に米軍機墜落「一歩間違えば私も助からなかった」…事故から65年、沖縄県うるま市で慰霊祭
2024.07.01

小学校に米軍機墜落「一歩間違えば私も助からなかった」…事故から65年、沖縄県うるま市で慰霊祭

 沖縄本島中部の旧石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、児童や住民計17人が死亡した事故から65年となった30日、同小で慰霊祭が営まれた。遺族や当時の児童、教員らが、犠牲者の冥福を祈った。 同小卒業生らでつくるNPO法人主催。この日は約300人が参列し、校庭内

18人犠牲の米軍ジェット機墜落事故から65年 うるま市・宮森小で慰霊祭
2024.07.01

18人犠牲の米軍ジェット機墜落事故から65年 うるま市・宮森小で慰霊祭

旧石川市の宮森小学校にアメリカ軍のジェット機が墜落した事故から65年となった6月30日、現地で遺族らが出席して慰霊祭が行われました。この慰霊祭は事故の悲惨さを後世に伝える活動に取り組むNPO法人石川・宮森630会と遺族会が開いたもので、遺族や関係者らが出席して犠牲になった児童を奉

「花火は悲劇のたびに立ち上がってきた長岡の象徴」 新潟・長岡の花火大会を高精細度4Kで撮影
2024.07.01

「花火は悲劇のたびに立ち上がってきた長岡の象徴」 新潟・長岡の花火大会を高精細度4Kで撮影

 「一生に一度は行きたい」と言われる新潟県長岡市の花火大会。毎年8月2、3日の2日間で打ち上げられる花火には、空襲や新潟県中越地震など数々の苦難の歴史と「慰霊」「復興」「平和」の想いが込められていた──。2023年の花火を20台を超えるカメラで追った圧巻のドキュメンタリー「長岡大花火 打ち上げ

空を見上げ、にじむ悔しさ 米軍機墜落65年 沖縄・宮森小で慰霊祭
2024.06.30

空を見上げ、にじむ悔しさ 米軍機墜落65年 沖縄・宮森小で慰霊祭

 沖縄が米国統治下にあった1959年6月、沖縄県石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、児童ら17人が犠牲になった事故から65年となった30日、同小で慰霊祭が開かれ、遺族や住民ら約300人が参列した。昨年11月に米軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)に向かっていたオスプレイが鹿児

花岡事件から79年で慰霊式 日中関係者ら200人参列 秋田・大館
2024.06.30

花岡事件から79年で慰霊式 日中関係者ら200人参列 秋田・大館

 戦時中の1945年、秋田県大館市の花岡鉱山に強制連行された中国人労働者が一斉蜂起し、400人以上が死亡した花岡事件から79年を迎えた6月30日、現場となった大館市花岡町の十瀬野公園墓地で慰霊式があった。遺族2人を含む日中両国関係者ら約200人が参列し、恒久平和の誓いを胸に犠牲者の冥福を祈った

箱館戦争の戦死者を弔う法要、榎本武揚のやしゃご「榎本の思いを150年間つないでくれてありがたい」
2024.06.30

箱館戦争の戦死者を弔う法要、榎本武揚のやしゃご「榎本の思いを150年間つないでくれてありがたい」

 戊辰(ぼしん)戦争(1868~69年)の最後の戦い、箱館戦争の旧幕府軍戦死者を慰霊する碑前祭が25日、函館山麓にある碧血碑(へっけつひ)(北海道函館市谷地頭町)で行われた。150年近く続く法要に、榎本武揚の子孫らを含む約80人が参列。碑前に手を合わせ、激動の時代に身を投じた旧幕府軍人たちをし

米軍機小学校墜落から65年 慰霊祭「悲惨な事故、二度と」 沖縄
2024.06.30

米軍機小学校墜落から65年 慰霊祭「悲惨な事故、二度と」 沖縄

 沖縄県うるま市(旧石川市)で1959年、宮森小学校に米軍戦闘機が墜落し、児童ら18人が死亡、210人が重軽傷を負った事故の発生から65年となった30日、同小で慰霊祭が営まれた。  遺族や事故体験者、在校生ら約300人(主催者発表)が参列。事故発生の午前10時40分

米軍機墜落65年で慰霊祭、沖縄 宮森小、再発懸念の声相次ぐ
2024.06.30

米軍機墜落65年で慰霊祭、沖縄 宮森小、再発懸念の声相次ぐ

 米軍統治下だった1959年、沖縄県石川市(現うるま市)の宮森小に米軍嘉手納基地のジェット戦闘機が墜落し児童ら200人超が死傷した事故から65年となった30日、同小で慰霊祭が開かれた。沖縄には今なお在日米軍専用施設の約7割が集中し、米軍機が上空を飛び交う。参列者からは墜落事故の再発を懸念する声

米軍機墜落事故から65年 犠牲の子どもら18人を追悼
2024.06.30

米軍機墜落事故から65年 犠牲の子どもら18人を追悼

 沖縄県うるま市(旧石川市)宮森小学校近くの住宅地に米軍ジェット機が墜落し、児童ら18人が死亡(うち1人は後遺症による)、200人以上が重軽傷を負った事故から30日で65年。この日、同小で慰霊祭があり、遺族や当時の生徒らが犠牲者を悼んだ。 300人近くが参列し、黙禱(もくとう)を

「二度と事故が起きないよう願う」 宮森小米軍ジェット機墜落65年 遺族らが慰霊祭
2024.06.30

「二度と事故が起きないよう願う」 宮森小米軍ジェット機墜落65年 遺族らが慰霊祭

 1959年に米軍嘉手納基地を離陸したジェット機が石川市(現うるま市石川)の宮森小学校や周辺住宅地に墜落した事故から、6月30日で65年となった。石川・宮森630会と遺族会は、児童らが犠牲となった宮森小学校で慰霊祭を開き、遺族や当時の在校生、地域住民が参加した。 気温が30度を超

花岡事件から79年、犠牲者悼む 秋田・大館、遺族ら黙とう
2024.06.30

花岡事件から79年、犠牲者悼む 秋田・大館、遺族ら黙とう

 秋田県大館市の花岡鉱山で太平洋戦争末期、強制連行された中国人労働者が一斉蜂起し、多数が死亡した花岡事件から30日で79年となった。同市の十瀬野公園墓地では市主催の慰霊式が開かれ、来日した遺族ら約200人が黙とうして犠牲者に祈りをささげた。 中国山東省から来日した周長明さん(67