# 戦災

体験画が伝える空襲の悲惨さ 市民が残した戦争の記録を伝えるイベント 静岡
2024.08.24

体験画が伝える空襲の悲惨さ 市民が残した戦争の記録を伝えるイベント 静岡

第二次世界大戦中に市民が残した空襲や戦災の記録を伝えるイベントが静岡市で開かれました。この取り組みは、市民が記録した空襲や戦災の様子を伝えようと全国の有志が50年以上前から続けていて、県内での開催は初めてです。今年は空襲の悲惨さを描いた絵画がテーマで、静岡市葵区にあ

戦禍の記憶継承を長岡に学ぶ 富山大空襲を語り継ぐ会、資料館の重要性確認
2024.08.18

戦禍の記憶継承を長岡に学ぶ 富山大空襲を語り継ぐ会、資料館の重要性確認

 富山大空襲を語り継ぐ会は17日、79年前に空襲を受けた新潟県長岡市内を巡る研修バスツアーを行った。同会は、県内で戦争遺品や資料などを常設展示する場の開設を目指している。参加者12人は、長岡戦災資料館や慰霊の花火である「長岡花火」に関する施設を見学し、後世に戦禍の記憶を継承するための場の重要性

忘れられた267人目の死者 地蔵像が語る敗戦2日後の惨劇 熊谷空襲
2024.08.15

忘れられた267人目の死者 地蔵像が語る敗戦2日後の惨劇 熊谷空襲

 埼玉県熊谷市東部、佐谷田地区の古刹(こさつ)の墓地に一体の地蔵像がまつられている。熊谷空襲から4日後、不発弾の爆発事故で亡くなった男児の死を悼み、遺族の手で建立された。終戦を翌日に控えた1945年8月14日深夜から翌未明にかけての最後の無差別爆撃。死者数は266人とされるが、この男児は含まれ

愛媛・今治空襲79年に小6問う「今の世の中、平和だと思いますか?」
2024.08.06

愛媛・今治空襲79年に小6問う「今の世の中、平和だと思いますか?」

 「皆さんは今の世の中が平和だと思いますか? 私は平和ではないと思います」。愛媛・今治空襲から79年を迎えた6日、今治市立吹揚(ふきあげ)小6年、清重和(きよしげのどか)さん(11)は同市で開かれた追悼式典で作文「平和な世の中にするために」を朗読し、戦争を許さぬ強い気持ちで日々を過ごすことを誓

「今ある平和を大切に」富山大空襲から79年で誓いのつどい「戦争だけはやってはいけない」平和の誓い新たに【戦争の記憶とやま 2024】
2024.08.01

「今ある平和を大切に」富山大空襲から79年で誓いのつどい「戦争だけはやってはいけない」平和の誓い新たに【戦争の記憶とやま 2024】

約3000人が犠牲となった富山大空襲から79年です。富山市では1日、戦災からの復興に尽力した先人をしのぶ集いが開かれました。「富山市民感謝と誓いのつどい」は戦後、市の発展に尽力した先人の遺徳をしのぶとともに戦争の悲惨さを後世に伝えようと、富山大空襲の前日に毎年開催されています。<

焼け野原にたたずむ甲子園 米軍接収のカラー写真、開場百年
2024.07.31

焼け野原にたたずむ甲子園 米軍接収のカラー写真、開場百年

 太平洋戦争後の1947年に空撮したとみられる米軍接収中の甲子園球場(兵庫県西宮市)のカラー写真が見つかった。球場北側からのアングルで、周囲は焼け野原が広がり、戦争の傷痕が色濃く残る。甲子園の歴史に詳しい専門家は「カラーだからこそ戦災の跡が分かる。貴重な資料」と評価。甲子園は8月1日に開場10

「1399人」「1400人近い人」「1500人は下らない」… 仙台空襲の犠牲者、市史や展示で表記バラバラ
2024.07.11

「1399人」「1400人近い人」「1500人は下らない」… 仙台空襲の犠牲者、市史や展示で表記バラバラ

 1945年7月10日に米軍が仙台市中心部を爆撃した仙台空襲から79年がたった。宮城県内最大の戦災にもかかわらず、犠牲者数や投下された爆弾の種類などは市史や展示によって異なる。戦禍の記憶を忘れず、できる限り正確に語り継いでいくため、市には再検証が求められる。(編集部・大芳賀陽子)

「和歌山大空襲」から79年で追悼法要 遺族会理事長「継承が責務」
2024.07.09

「和歌山大空襲」から79年で追悼法要 遺族会理事長「継承が責務」

和歌山市中心部が戦火に包まれた和歌山大空襲から79年を迎えた9日、同市戦災死者追悼法要(市戦災遺族会主催)が同市西汀丁(にしみぎわちょう)の汀公園戦災死者供養塔前で営まれ、遺族らが出席して犠牲者の冥福を祈った。和歌山大空襲は、昭和20年7月9日深夜から翌10日未明にかけて、米軍爆

宇都宮空襲から79年 うつのみやの戦災展始まる
2024.07.08

宇都宮空襲から79年 うつのみやの戦災展始まる

 市街地の大半が焼失し、620人以上が犠牲になった、「宇都宮空襲」から今年で79年です。当時の被害の様子などを後世に伝える展示が8日から、宇都宮市内で始まりました。 「うつのみやの戦災展」は、1945年、昭和20年7月12日の深夜に宇都宮を襲った空襲について、多くの人に知ってもら

「戦争はおじいちゃんおばあちゃんとつながっているんだ」戦争の記憶を展示 仙台
2024.07.05

「戦争はおじいちゃんおばあちゃんとつながっているんだ」戦争の記憶を展示 仙台

赤茶色の空を飛ぶ「B-29」から落とされた照明弾と焼夷弾。小学3年生のときに仙台空襲を体験した画家の佐々木健二郎さんが当時の記憶をもとに描いた1枚です。1945年7月10日の仙台空襲からまもなく79年。仙台市青葉区の戦災復興記念館では毎年この時期に「戦

不戦の決意 岡山空襲79年に誓う 市戦没者追悼式 遺族や児童ら参列
2024.06.29

不戦の決意 岡山空襲79年に誓う 市戦没者追悼式 遺族や児童ら参列

 岡山市街地の6割を焼失させ、多くの市民の命を奪った岡山空襲から79年を迎えた29日、市戦没者追悼式が岡山芸術創造劇場ハレノワ(同市北区表町)で営まれた。遺族や児童生徒ら約350人が参列。犠牲者を悼み、平和への思いを新たにした。 空襲で亡くなり、身元が判明している1470人の名簿

朝ドラ「虎に翼」が光を当てた戦災孤児…75年前の新聞はどう伝えたか、当時の記事から振り返る
2024.06.25

朝ドラ「虎に翼」が光を当てた戦災孤児…75年前の新聞はどう伝えたか、当時の記事から振り返る

 NHK連続テレビ小説「虎に翼」に、戦後の街にあふれていた戦災孤児が登場した。1947(昭和22)年5月5日付と6日付の南日本新聞に掲載されたのが、10代前半の孤児たちを集めた「座談会」の記事だ。「浮浪児の告白を聞く」の見出しがつく。家族を失い、自力で生きる道を探らざるを得なかった子供たちの声

『虎に翼』寅子が母・はるとの別れで子供のように泣きじゃくった「大事な理由」
2024.06.23

『虎に翼』寅子が母・はるとの別れで子供のように泣きじゃくった「大事な理由」

----------『虎に翼』振り返り日記:第12週「家に女房なきは火のない炉のごとし?」X(旧Twitter)に日々投稿する『虎に翼』に対する感想がドラマ好きのあいだで人気のライター・福田フクスケさん(@f_fukusuke)。連載「『虎に翼』振り返り日記」では、

「虎に翼」寅子悩むも…笹山まさかの再登場&救世主 道男は寿司職人修業へ!ネット歓喜「働き口まで」
2024.06.21

「虎に翼」寅子悩むも…笹山まさかの再登場&救世主 道男は寿司職人修業へ!ネット歓喜「働き口まで」

 女優の伊藤沙莉(30)がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説「虎に翼」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)は21日、第60話が放送された。話題のシーンを振り返る。 <※以下、ネタバレ有> 向田邦子賞に輝いたNHKよるドラ「恋せぬふたり」などの吉田恵里香氏が

孤児は12万3511人、離婚希望者の行列…『虎に翼』寅ちゃんモデルが「家庭裁判所」で見た現実
2024.06.19

孤児は12万3511人、離婚希望者の行列…『虎に翼』寅ちゃんモデルが「家庭裁判所」で見た現実

 日本国憲法や戦後の民法の成り立ち、さらに現在は「家庭裁判所」の設立まで、今までとっつきにくかった法曹の世界をわかりやすく、しかも自分事として考えさせてくれる伊藤沙莉主演の朝ドラ『寅に翼』。ドラマの人気とともに、モデルとなった日本初の女性弁護士である三淵嘉子の生涯についても関心を持つ人が増えて

<虎に翼>戦災孤児の道男少年の“正体” 18歳の和田庵 3年前は尾野真千子と母子役、新人賞“3冠”の実力派
2024.06.17

<虎に翼>戦災孤児の道男少年の“正体” 18歳の和田庵 3年前は尾野真千子と母子役、新人賞“3冠”の実力派

 伊藤沙莉さんが主演するNHK連続テレビ小説(朝ドラ)「虎に翼」(総合、月~土曜午前8時ほか)の第56回が、6月17日に放送され、戦災孤児の道男役で俳優の和田庵(わだ・いおり)さんが登場した。 和田さんは2005年8月22日生まれ、東京都出身の18歳。8歳で芸能活動をスタートさせ

「歴史の風化を恐れなければ」 福岡大空襲79年で慰霊祭
2024.06.16

「歴史の風化を恐れなければ」 福岡大空襲79年で慰霊祭

 福岡大空襲から19日で79年となるのを前に、福岡市中央区大手門3の円応寺では16日、戦災死者の八十回忌慰霊祭が営まれた。円応寺のある簀子(すのこ)地区は特に被害が大きく、空襲で176人が犠牲になったとされる。6歳の時に福岡大空襲を体験した寺の三木和信住職(85)は「経験者の高齢化が著しく、歴