焼け野原にたたずむ甲子園 米軍接収のカラー写真、開場百年

AI要約

米軍によって接収された甲子園球場の空撮カラー写真が発見された。写真からは戦争の傷痕が色濃く残っていることがわかる。

写真には戦時中の金属供出の影響で撤去された「大鉄傘」の姿は確認できないが、球場外壁の緑のツタや周囲の風景は現在とあまり変わっていない。

甲子園周辺は戦争による空襲で被災し、茶色の更地が広がっている。甲子園自体は一部焼損したものの、復興されていた。

 太平洋戦争後の1947年に空撮したとみられる米軍接収中の甲子園球場(兵庫県西宮市)のカラー写真が見つかった。球場北側からのアングルで、周囲は焼け野原が広がり、戦争の傷痕が色濃く残る。甲子園の歴史に詳しい専門家は「カラーだからこそ戦災の跡が分かる。貴重な資料」と評価。甲子園は8月1日に開場100年。

 真ん中左に写る甲子園の外壁は、今と変わらず、特徴的な緑のツタで覆われている。戦時中の金属供出のため、43年に撤去された鉄製屋根「大鉄傘」は確認できない。球場すぐ近くには阪神電鉄甲子園駅や競技用プールも写り込んでいる。

 施設の周囲は茶色の更地が目立つ。一帯は45年8月6日に空襲で被災。42年に撮影された航空写真では外野席の南側まで民家が確認できるため、空襲で焼け野原になったとみられる。鉄筋コンクリート造りの甲子園は一部焼損にとどまった。

 現在写真を所有するのはフィルム資料研究者で、神戸市文書館に勤める衣川太一さん(53)=大阪府。