「1399人」「1400人近い人」「1500人は下らない」… 仙台空襲の犠牲者、市史や展示で表記バラバラ

AI要約

仙台市中心部を爆撃した仙台空襲の犠牲者数や使用された爆弾について、市史や記録には異なる記述が存在する。

現在、犠牲者数についての再検証が求められており、市戦災復興記念館や戦災関連の資料と照らし合わせが必要とされている。

戦災の記憶を正確に伝えるためには、過去の資料や体験者の情報を丁寧に整理し、次世代への説明が必要である。

「1399人」「1400人近い人」「1500人は下らない」… 仙台空襲の犠牲者、市史や展示で表記バラバラ

 1945年7月10日に米軍が仙台市中心部を爆撃した仙台空襲から79年がたった。宮城県内最大の戦災にもかかわらず、犠牲者数や投下された爆弾の種類などは市史や展示によって異なる。戦禍の記憶を忘れず、できる限り正確に語り継いでいくため、市には再検証が求められる。(編集部・大芳賀陽子)

■市は記録の再検証を

 空襲による犠牲者数や爆弾の種類、数量を巡る市史や市戦災復興記念館の展示、市発表資料などの差異は表の通り。

 市は毎年7月10日に開催する戦没者戦災死者合同慰霊祭で、犠牲者数を「1399人」と発表してきた。戦災復興記念館のリーフレットにある死者数と身元不明者数を合計した数字で、河北新報も記事で1399人と記述したものがある。

 空襲の犠牲者名簿は戦争体験者や郷土史家らが検証し、書籍「仙台はフェニックス」(95年)にまとめた。各種資料で確認できた犠牲者数は1064人。その他に犠牲者と推測されるものの、確認できない人が335人いると記す。一方、8月の空襲で亡くなった人も7人含まれると注釈しており、仙台市史は犠牲者を「1400人近い人」と表記する。

 戦災復興記念館アドバイザーボランティアの及川節郎さん(68)によると、現在も犠牲者の銘板に「親族の名を加えてほしい」「この人は犠牲者ではない」といった声が寄せられる。「正確な人数は分からず、約1400人といった表現で説明している」と話す。

■使われた爆弾も記述分かれる

 使われた爆弾についても記述が分かれる。終戦後に米国が公表した機密資料によると、計1万2961発、計911・3トンの焼夷(しょうい)弾と集束焼夷弾が使われた。ところが、市史や文献の一部には「高性能爆弾」8発を含む計917・6トンが投下されたとの表記がある。

 仙台・空襲研究会の新妻博子代表は、米軍資料の「photoflash(照明弾)」を誤訳した可能性を指摘する。「引用や孫引きを繰り返すうちに事実と違うことが残されかねない」と危惧する。

 東北大大学院文学研究科の安達宏昭教授(日本近現代史)によると70年代は市民が主体となった空襲の検証が全国的に盛んだった。「体験者が少なくなるとともに社会的関心も薄れ研究対象になりづらくなっている」と、学術的な知見が少ない背景を説明する。

 市はホール機能の集約や老朽化を理由に戦災復興記念館の廃止方針を示しており、記録保存や展示に関する機能の存続について検討している。

 青葉区の担当者は「爆弾の表記については把握しておらず確認が必要。空襲から80年を前に次の世代に伝えるため現在分かっていることを整理し、検証していきたい」と話した。