「日本人は打たない」破天荒すぎた巨人助っ人 今は亡きドラマ…相手投手が語る“伝説”

AI要約

金石昭人氏は広島時代にサヨナラ負けを喫した経験を振り返り、申告敬遠があれば違った結果になっていたかもしれないと語る。

1990年の巨人戦で金石氏は桑田真澄との熱戦を繰り広げるが、9回にクロマティに打たれてサヨナラ負けを喫するシーンが生まれる。

クロマティが敬遠の気配を感じ取りながらも、打球は深いゾーンへ飛び、日本ハムの勝利が決定する珍しい展開が繰り広げられる。

「日本人は打たない」破天荒すぎた巨人助っ人 今は亡きドラマ…相手投手が語る“伝説”

 現在のルールなら何でもなかったのに。広島、日本ハム、巨人と、プロ20年間で72勝80セーブをマークした野球解説者の金石昭人氏は、広島時代に敬遠のボールを打たれてサヨナラ負けを喫した経験を持つ。「あの頃に申告敬遠があったらねぇ」。現代では、まずお目にかかれないシーンはどうして起きたのか。

 1990年6月2日の巨人戦(東京ドーム)。先発の金石氏は、桑田真澄投手(巨人2軍監督)と緊迫した投げ合いを繰り広げた。桑田はPL学園(大阪)の後輩で、7学年下。1-1で9回に入った。「僕が9回まで投げているのが凄いですね」と謙遜しつつ、34年も昔の記憶を辿った。

 9回裏。桑田にヒットを許し、バントで送られて2死二塁のピンチを招いた。迎えるはウォーレン・クロマティ外野手。ネクストバッターズサークルには、4番の原辰徳内野手(前巨人監督)が待ち構えている。その時点でクロマティには1本、原には3本ヒットを打たれていた。

 ベンチの指示は左打者のクロマティを歩かせ、右バッターの原との勝負だった。「僕は左に対しては、投球がちょっとシュート回転する。左バッターよりは右の方が攻め易く打ち取れる。そう判断されて、敬遠になったのでしょう。もっとも原さんに対していたら、そこで投手交代になっていたかもしれませんけど」。

 キャッチャーの植田幸弘は座らず立ったまま。クロマティは敬遠の気配を感じ取った。植田がミットで外側へ大きく外すようにアクションを起こして確認を促し、初球。金石氏が投じたボールは狙いより少し内側へ。バットが届くゾーンに行った。

 クロマティはバットを一閃。打球は右翼からやや中堅よりの深いゾーンへと舞い上がった。驚いた金石氏は両太ももに手を置いて、ボールの行方を目で追った。「フェンスは越えない。あー、外野フライだな」。

 しかし、ライトの西田真二(社会人野球セガサミー監督)は虚を突かれて懸命に走る。精一杯グラブを差し出したが、届かず横転した。二塁打となり、二走・桑田が右手を突き挙げながらホームイン。熱戦は珍しい形で決着した。