【特集・未来アスリート】司法試験合格とパラリンピアンを目指すパワーリフター 立命大・森崎可林は挑戦し続ける

AI要約

文武両道を貫く立命大のパワーリフター、森崎可林さんが法科大学院進学と司法試験合格を目指す一方で、中学3年から始めたパラ・パワーリフティングの競技継続を誓い、将来の国際大会復帰を目標にする。

幼い頃から培ったチャレンジ精神で夢を追い続け、法学勉強と競技の両立を図る森崎さんは、過去の挫折やケガを乗り越えながら、覚悟と決意を持って未来に向かって進んでいる。

学業と競技への情熱を両立させる森崎さんは、スポーツ系の弁護士を目指し、将来の可能性に目を向けながら、日々努力と挑戦を続けている。

【特集・未来アスリート】司法試験合格とパラリンピアンを目指すパワーリフター 立命大・森崎可林は挑戦し続ける

 文武両道を貫く立命大のパワーリフター、森崎可林さん(法学部・4年)が法科大学院進学と司法試験合格を目指す一方で、中学3年から始めたパラ・パワーリフティングの競技継続を誓い、将来の国際大会復帰を目標にする。「やる前からあきらめるな」―。幼い頃から培ったチャレンジ精神で夢を追い続ける。

 優先順位をつけるとすれば、今は学びの方かもしれない。立命大法科大学院の入試が始まるのは8月。「パリ(パラリンピック出場枠)から外れていい転機になった。法学の勉強と院試に集中できる」と、森崎さんが前を向いた。立命館守山高や立命大進学時にも先生から「法学の勉強とパワーリフティングの両立は難しいよ」と、アドバイスされていたそうだ。「国際大会から一度身を引きます」。目標としていたパリの選考から外れ、自分の心に踏ん切りをつけた時、日本パラ・パワーリフティング連盟にそう伝えたという。

 昨年8月、自己ベストの73キロを記録したドバイでの世界選手権が終わった後、オーバーワークが原因で左大胸筋の肉離れを起こし、同時に左肩も痛めた。パリ2024パラリンピックのパスウェイ(出場必須)大会である今年2月のワールドカップ(ドバイ)に出るためには、故障してから3か月後の12月に行われた全日本選手権で、99キロの指定記録(女子67キロ級)をクリアする必要があった。「東京(パラリンピック)の時より出場基準が厳しくなって、女子は1階級しかドバイには出場できなかった」という。超音波治療なども施したが、車いすをこいでいて逆の右肩も痛くなった。「負傷している体で私のベストから20キロ以上を上げられるわけがない」。それでも全日本選手権では70キロを挙上し、この大会を終えて最優先事項を大学院進学にリセットした。

 幼い頃からスポーツに接した。水に親しんだのは2歳から。競技としては中学2年から水泳に取り組んだ。「車いすなので水が嫌いになったらかわいそう」と両親が気遣い、祖父の古谷敏夫さんが住んでいた高知県の仁淀川に飛び込んだり、手だけでまっすぐ泳いだ。「好奇心が旺盛だった」と明かす通り、幼稚園から車いすサッカー、バスケット、テニス、卓球などひと通り体験した。ジブリの映画を鑑賞したのをきっかけに3歳からバイオリンを習い、今でも弾く。転機が訪れたのは「競泳のタイムが伸びず、楽しくないかな」と、感じ始めた立命館守山中3年の時だった。

 2人の先生から同じ日に、それぞれ別のタイミングで「ジャパン・ライジング・スター・プロジェクト(J-STARプロジェクト)1期生募集」のチラシを渡された。このプロジェクトは日本オリンピック委員会、日本パラスポーツ協会、日本パラリンピック委員会などが、全国から将来性豊かなアスリートを発掘するために発足したもので、2017年からスタートした。両親と相談して応募を決め、書類選考も合格。そして京都会場の測定会で運命的な出会いがあった。車いすで5分間走を行うと、日本パラ・パワーリフティング連盟の吉田進理事長(当時)から声を掛けられた。「筋肉の使い方が(パワーリフティングに)向いているよ」。試してみると30キロをいきなり挙上。「バーベルを上げた瞬間、気持ちいい!」。プロジェクトの合格が決まる前に、合宿の様子まで見学に行くほど引き込まれた。

 パラ・パワーリフティングは仰向けになった状態でバーベルを一度、胸まで下ろして停止させ、そこから腕を伸ばして一気に持ち上げ、挙上した状態を3秒間キープしなければならない。試技は3回。足で踏ん張ることができないため、バランスを維持する技術や上半身と腕の純粋な筋力が求められる。「3秒のドラマ」とも呼ばれ「やって見ると本当に奥が深い」と、森崎さんは実感を込めて話す。

 競技歴3か月で全日本選手権に出場するなど飛躍的に成長を遂げ、自身が持つ日本記録を更新し続けてきた。だが、右肩上がりのスピードが一時、緩んだことがあった。「警察官で私のためなら何でもしてくれるような祖父が亡くなり、気分が落ち込み、前に進もうと思っても体重の増減が激しくて…」。祖父が他界した直後、立命館守山高3年の20年10月、京都での大会で初めて3回の試技をすべて失敗した。1年以上も思うような結果が出ず、苦しみ悩んだ末、立ち直るきっかけをつかんだキーワードが「笑顔」だった。「冬季五輪の日本代表女子のカーリングを見ていたら、厳しい局面でもいつも笑顔。笑うと力が抜けて集中できる。ひたすら口角を上げていたら、意識しなくても笑っていられるようになった」と振り返る。22年6月、アジア・オセアニア選手権(韓国)でパラリンピック標準記録の70キロの挙上にようやく成功した。

 父が転勤族で小学6年の時は大阪・豊中で過ごした。「見学したらバリアフリーで環境がすごく良かった」という立命館守山中に合格すると、家族で滋賀・守山市に引っ越した。高校では生徒会執行部でも活躍。「祖父のような警察官や国家公務員になりないと思った。生活は法律に則って作られているから」。高校3年の「法学フロンティア」の科目では常にトップの成績。進学した立命大法学部の講義も「習ったことをインプットしてアウトプットするのが楽しい。現実味があって平和的に解決する民法が好き」と目を輝かせた。

 毎日がハードワークだ。1時限の授業があると朝5時30分に起床。片道1時間半かけて通学する。6時限の午後7時30分まで授業が続く日もあり、時間が空くと図書館などで勉強する。練習は週に2、3日で1日約3時間。競技を始めた時に指導を受けた久保匡平コーチを訪ねて亀岡市のジムまで通う。最初は20キロから始めて重量を段階的に上げ、70キロを超えるまでバーベルを60回以上、上げ続けて折り返しは68キロから徐々に下げ、さらに60回以上挙上する。補助トレーニングとして上腕、背中などの筋肉も強化する。「下ろして上げるだけで単純そうに見えるけど、簡単ではないところが魅力。バーベルを持つ幅を1ミリ変えるだけで使う筋肉が変わる」と、競技の奥深さを説明した。

 大学院進学、司法試験合格をかなえたその先、今思い描くのはスポーツ系の弁護士だ。選手同士の揉め事、コンプライアンス違反、パワハラ、スポンサーとの問題、国際連盟との仲介…。「選手だから、障がい者だから分かることがある。地位を手にできることで助言ができる」と、きっぱりと言う。学業と両立させて今後も全日本選手権始め、国内の大会には出場を続ける予定だ。そして競技の新たな目標は26年に名古屋で行われるアジアパラ競技大会。「30代ですごく成績が伸びる競技性なので、ちょうどいい年齢かも」と、32年の豪州ブリスベン・パラリンピックも視野に入れている。

 「仲間たちが輝いて見えた」。3年前、東京パラリンピックの最終聖火ランナーを務めた時の景色は忘れない。「人間の可能性は無限大。やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい。車いすでもやりたいことはやりなさい…、それが祖父の教えだった」。その言葉通り、法曹界とパラリンピアンの未来へ踏み出す。

 ◇森崎 可林(もりさき・かりん)東京都・町田市生まれ。小学校は神奈川・横浜、大阪・豊中で過ごす。立命館守山中・高から立命大へ進学。中学2年からパラ・パワーリフティングに取り組む。当初は強化拠点施設がある京都・城陽へ通うため、母・佳子さんの送迎や練習の補助を受け「母には感謝しかない」という。その頃から友人と出掛けるなど、遠方の合宿でも1人で電車や飛行機で移動するようになった。「人に恵まれ友だちにも出会った立命館守山は最高の選択だった」と話す。5月19日のチャレンジカップ京都大会では女子67キロ級で67キロを挙上し、1位に輝いた。練習でのベスト記録は77キロ。日本パラ・パワーリフティング連盟の2024強化指定選手。