【広島】元中日の名城大・山内壮馬コーチ「本当にとんでもないこと」“教え子”栗林良吏の偉業を祝福

AI要約

広島の栗林良吏投手が通算100セーブを達成、史上36人目の快挙を達成した。

栗林がプロで抑えになることを予想していなかったが、大学時代の指導者である山内壮馬氏が彼の成長を振り返る。

山内壮馬氏は栗林の性格や成長過程を詳細に語り、栗林の100セーブを祝福している。

【広島】元中日の名城大・山内壮馬コーチ「本当にとんでもないこと」“教え子”栗林良吏の偉業を祝福

◆JERAセ・リーグ DeNA2―4広島(25日・横浜)

 広島の栗林良吏投手が、史上36人目の通算100セーブを達成した。178試合目は、馬原(ソフトバンク)に並ぶ日本人最速タイ(史上最速は中日・ギャラードの148試合)。球団では中崎以来5人目で、入団4年目での到達は、日本人でDeNA・山崎に次ぐ史上2人目だった。その栗林が、投手として大きな影響を受けたというのが元中日で名城大コーチの山内壮馬さん。教え子の当時を振り返りながら、偉業を祝福した。

 栗林くん、100セーブおめでとうございます。本当にとんでもないことだと思うし、ビックリしています。

 彼の優しすぎる性格では、プロで抑えになるなんて思っていませんでした。思い出すのは、大学3年生のときのノーヒットノーラン(17年5月14日の愛知大学野球リーグ・中京大戦)。本来なら意識させないようにするけど、彼の場合は言わなくても絶対に意識する。だから、早い段階で「思いっきり意識していけ」と逆の戦法を取ったことを覚えています。それも彼の性格があってこそ。当時からガツガツ相手に向かっていくタイプではなかった。後付けだけど、心配性で何事においてもすごく準備を大事にする性格が抑えに合っていたのかな。

 初めて会ったのは3年生のときでした。当時は自分で「プロなんか目指せるレベルじゃない」と言っていたけど、体の強さもあったし、体格の割に直球の強さもあったし、150キロは出ていたので、僕は目指せると思っていました。

 高校(愛知黎明)まで野手もやっていて、器用な一面もあった。でも、会った当時は変化球はスライダーぐらいしかなかった。上を目指すためには決め球がないといけない。そこでカーブとフォークを教えましたが、それはきっかけに過ぎない。その後に磨きをかけて本当の武器になったんだと思います。

 大学で指名漏れを経験したときは、すぐに切り替えられる状況じゃなかったと思います。何なら「もう野球はいいや…」というぐらいに思っていたと思うし、かけてあげられる言葉もなかった。でも、トヨタ自動車にいくことは決まっていた。「もう一回、頑張るしかない」という話はしたと思うけど、社会人でも1年目はプロでやろうなんて思っていなかったと思います。だから、プロ入りが決まったときは本当にうれしかった。私にとっても教え子で初めてのプロ野球選手。ドラフト会議は自分のときと同じぐらい緊張しました。

 今後は「栗林で負けたら仕方がない」と、それぐらい誰からも信頼される投手になってほしい。もう、そういう投手になっていると思うけど、次は200セーブを目指して、これからも活躍を楽しみにしています。(名城大コーチ)

 ◆山内 壮馬(やまうち・そうま)1985年7月1日、愛知県生まれ。38歳。杜若高では元楽天の長谷部康平と同級生で3年夏の県大会ベスト4。名城大を経て、07年大学・社会人ドラフト1巡目で中日に入団。12年には10勝をマーク。16年は楽天でプレーし、同年限りで現役引退。17年から母校・名城大でコーチを務める。プロ通算57登板で17勝15敗1ホールド、防御率3・01。右投右打。