【荒木田裕子さん悼む】「バレーボールの先生は金メダリスト」誠実で陽気な声がもう聞けない

AI要約

バレーボール女子で1976年モントリオール五輪金メダリストの荒木田裕子さんが70歳で亡くなった。

荒木田さんは誠実に答える姿が印象的で、バレーボール界をより良くしたい一心で活動していた。

後進の育成にも熱心であり、多くの人に愛される存在だった。

【荒木田裕子さん悼む】「バレーボールの先生は金メダリスト」誠実で陽気な声がもう聞けない

 バレーボール女子で1976年モントリオール五輪金メダリストの荒木田裕子さんが死去した。70歳だった。競技担当をしていたころ、疑問ができると真っ先に連絡するのが荒木田さんだった。先輩記者から「平山君のバレーボールの先生は金メダリストなんだね」と言われたことが懐かしい。思い出が次々とよみがえってくる。

 どんな時も誠実に答える姿が印象的だった。組織委の会長だった森喜朗氏が辞任表明した21年2月。新会長を決める選定委員会に名を連ねながら、最初の取材では真っ向から否定されて面食らった。後々になって「ごめんなさい。私、平山さんに、うそ吐いちゃったの」と孫ほど歳の離れた記者に何度もわびる姿に、後輩たちからも慕われる理由を感じた。

 バレーボール界をもっとよくしたい-。そんな一心が強かった。日本バレーボール協会(JVA)のビーチバレーの担当役員が選手の診断書の偽造を行った件への憤りはすさまじく「ミスを認めようとせず、自浄作用が働かない協会の体質があるのではと思うと残念でならない。選手がかわいそうよ」と嘆きが止まらなかった。

 目線はいつも選手ファースト。川合俊一氏の会長就任には「これからは川合くんたちや、もっと若い世代の番よ。年寄りが口うるさく言うんじゃ現場の方が大変でしょ」。後進が育ってきたことを誰よりも喜んでいた。「5分だけ」と言っていた電話が、気がつけば30、40分と伸びることはザラ。それもそのはず。電話を切るのが惜しくなるくらい話が面白かった。訃報から一夜明けて現実を受け止め始めたが、「あら、平山さん。今度は一体どうしたの?」と陽気な声がもう聞けないのかと思うとやっぱり寂しくてたまらない。【20~22年バレーボール担当=平山連】