琉球ゴールデンキングスに5年ぶりの復帰、佐々宜央の覚悟(前編)「沖縄への恩返しの気持ちを1番に戻ってきました」

AI要約

佐々宜央が琉球ゴールデンキングスに加入した経緯について、オファーを受けたことをきっかけに復帰したことが明らかになった。

宇都宮ブレックスでのヘッドコーチ退任は驚きをもたらしたが、自身がチームの継続路線を変える必要性を感じていたためであった。

竜三さんの後のブレックスの継続に関する考えや、自身の決断について述べられている。

琉球ゴールデンキングスに5年ぶりの復帰、佐々宜央の覚悟(前編)「沖縄への恩返しの気持ちを1番に戻ってきました」

今オフのBリーグにおいて、コーチングスタッフ関連で1番のサプライズと言えるのが佐々宜央の琉球ゴールデンキングス加入だった。昨シーズン、ヘッドコーチ2年目の宇都宮ブレックスでチャンピオンシップではクォーターファイナル敗退に終わったものの、レギュラーシーズンでリーグ最高勝率を記録した。去就が注目される中、自身が初めてヘッドコーチを務めた琉球にアソシエイトヘッドコーチとして復帰を果たした。特に琉球とは就任3年目、2019-20シーズンの途中に退任という中途半端な別れ方をしていただけに、この契約は宇都宮を去るのと同様の衝撃を与えた。何故、宇都宮を去り、琉球に加入したのか。その理由と今シーズンにかける思いを聞いた。

――あらためて、琉球復帰はどういう経緯だったのか教えてもらえますか。

自分が宇都宮を離れることが明らかになってから、いくつかのオファーをいただきました。その中で、まず桶さん(桶谷大ヘッドコーチ)から一緒に食事をしている時に「どうするの?」と聞かれました。そこで「まだ、全然決めていません」と答えた後で、桶さんから「来シーズン、手伝ってほしい」と言われたことがきっかけです。

自分としては思いもよらない申し出でした。やっぱり、過去のこと(琉球のヘッドコーチとして3シーズン目の途中に退任)からネガティブな部分はあると思うので、それは難しいんじゃないかと話しました。それでも桶さんは一度、フロントやいろいろな人に相談してみると言って、その後で安永(淳一GM)さんから正式なオファーをもらいました。そこで安永さんと2人で話した時、僕としては身構えた感じでしたけど、自分の思っていた以上に復帰をポジティブにとらえてくれて戻って来られることになりました。

――そもそも、レギュラーシーズンで最高勝率を達成しながら宇都宮のヘッドコーチを退任したことは大きな驚きでした。

(琉球への復帰より)こちらの方がインパクトは強いと思います。ただ、就任した時からまずは2年間、チームを見るという形でした。元々、(安齋)竜三さんがリーグ優勝した後で退く時、僕も一緒に辞めようかとも思っていました。ただ、優勝してチームが良い状況なところで辞めていいのかとも思いました。また、自分が少しでもブレックスを引き継いでいける感覚は、ヘッドコーチ就任時にはすごくありました。だから竜三さんとも話して、ブレックスに残る決断をしました。ただ、そこからの2年間で、残った判断が正しかったのか、ちょっと自分にはわからない感覚になりました。この状況で続けていくのは良くないと強く思っていて、チャンピオンシップにはこれが最後になるかもしれないという気持ちで臨んでいました。

――就任1年目は32勝28敗でポストシーズン進出を逃しましたが、2年目の昨シーズンは51勝9敗とBリーグ以降ではチーム歴代トップの成績です。それでも、自分が残るべきではないと感じたのは何故でしょう。

ブレックスは優勝した時の中心選手たちが健在で、彼らがこれまで築き上げてきたモノは素晴らしいです。これからもベテランを軸にしたチームとして戦っていく中、同時に小川敦也、高島紳司に村岸航と若い力も入ってきました。停滞は後退という考えもあるように、チームには変化も必要になっています。一方で自分は竜三さんが作り上げてきたものを繋いでいくスタイルでやってきました。だからこそ、継続路線がベースにある自分がいることで変革が難しくなってしまう。自分がいることでマンネリ化し、新しいモノをどんどん打ち出していけなくなる、と考えたことも退任の大きな理由です。

そういう意味で、竜三さんが優勝した直後にチームを離れたことも、当時は理解できなかったのが今はなんとなくわかります。それはヘッドコーチの立場になったことで、感じられたところもあると思います。竜三さんに「ここでブレックスを離れようかと思っています」と相談した時、なんかしっくりきている感じでした。