「日本人最多154試合出場」吉田麻也が明かす“プレミアを生き抜く肉体改造”「完膚なきまでにやられ…えらいところに来てしまったと」

AI要約

21歳でオランダに渡り、24歳でプレミアリーグに移籍した吉田麻也。怪我から立ち直り、フィジカルを強化する過程が語られる。

プレミアリーグではフィジカルが重要であり、ベンテケやフェライニとの対戦で自身の課題を認識。筋トレと栄養管理で体を作り直す。

米国のスポーツ栄養学に触れ、NFLやNBAの進化に驚く。プレミアリーグクラブも学び、フィジカル強化に取り組んでいる。

「日本人最多154試合出場」吉田麻也が明かす“プレミアを生き抜く肉体改造”「完膚なきまでにやられ…えらいところに来てしまったと」

 154試合。日本人で最も多くの試合でピッチに立った。強靭なフィジカルを求められるポジションながら、厳しい競争を勝ち抜いた吉田麻也が、その秘訣を明かす。

 発売中のNumber1103号に掲載の[日本人最多出場選手が語る]吉田麻也「プレミアを生き抜くコツ、教えます」より内容を一部抜粋してお届けします。

《シャツを脱いだ吉田麻也の姿を見れば、誰もが驚く。筋骨隆々。まるでダビデ像。Jリーグ時代は、センターバックとしてはひょろっとした体つきだったが、サウサンプトンへ移籍して明らかに厚みが増した。この鋼のボディを手に入れるきっかけとなったのは、プレミアリーグ2年目の挫折だった――》

 21歳でオランダに渡って、24歳でプレミアリーグに移籍して。僕のキャリアは、絵に描いたように理想的なステップアップでした。ところが、ここで鼻をへし折られた。サウサンプトン1年目の終盤に股関節を痛めて、その怪我が長引いて。2年目は、サッカー人生で初めて試合に出られない日々が続きました。

 このときに、気が付いたんです。プレミアリーグでは自分のメッキが剥がされたときに、ごまかしながらでは通用しない。弱点を克服しなければ生き残れない、と。

 当時の僕の弱点は、フィジカルでした。ビルドアップの技術や守備時のカバーリングなどはプレミアでも通用する手応えを得ていましたけど、パワーが足りていなかった。移籍直後にベンテケやフェライニとマッチアップして、フィジカル勝負で完膚なきまでにやられた。彼らの体は、押せども引けども動かない。「これは、えらいところに来てしまった」と痛感しました。

 イングランドでは、空中戦で相手を吹き飛ばすと、スタンドが一気に盛り上がります。逆にここで競り負けると「貧弱」のレッテルを貼られる。試合後の『MATCH OF THE DAY』などのサッカー番組では、解説者のリオ・ファーディナンドやキャラガーから、容赦なく「あいつは使えない選手」と酷評されます。たとえ事実ではなくても、視聴者は信じてしまう。それだけ影響力が大きいですからね。

 僕が理想としたのは、ケインやルカクのように重くても速く動ける体づくりです。ただし、日本人はそもそも体の筋量が欧米人より少ない。これを改善するために、筋トレのセット数を増やしました。それまで1メニュー3セットだった荷重トレーニングを5~6セットこなして、体脂肪率は維持したまま筋量を増やすことを意識した。

 スポーツ栄養学を学び、サプリメントを積極的に摂取するようになったのも、この頃です。それまでも良い食事を意識はしていましたが、1回の食事で摂取できるタンパク質には限界があります。それをサプリメントで補うことで、プレミア仕様の体に変化させていきました。

 今、ロサンゼルス・ギャラクシーでプレーしていて強く感じるのは、スポーツ栄養学の分野で最も進んでいるのはアメリカだということ。特にNFLとNBAはすごい。プレミアリーグのトップクラブは彼らから学ぶために、定期的に担当者がアメリカへ研修に来ています。そして下位クラブがそれを上位クラブから学ぶ。このサイクルも、プレミアの選手のフィジカルが優れている要因の1つなのだと思います。