インドネシアでアジア版「甲子園」 難病と闘った元甲子園球児が普及に挑む

AI要約

元プロ野球選手の柴田章吾さんが主催する第1回アジア甲子園大会2024がジャカルタで開催される。大会では14〜18歳の8チームが硬式球を使用し、甲子園球場の雰囲気を味わうことができる。

柴田さんは、難病との闘いの経験を持ち、甲子園出場を夢見ながらプロ野球選手になった。現在はアジア全域に野球を広める活動を展開している。

彼の挑戦には多くの支援があり、将来的にはアジアから新たな野球スターが生まれることに期待が寄せられている。

インドネシアでアジア版「甲子園」 難病と闘った元甲子園球児が普及に挑む

 高校野球の熱狂と感動をアジア全域に広めようと、「第1回アジア甲子園大会2024」が12月にジャカルタで開催される。主催するのは、元プロ野球巨人の育成選手で高校時代は甲子園に出場した柴田章吾さん(35)が代表理事を務める一般社団法人NB.ACADEMY。「今、アジアで一番元気があるのがインドネシア。ここでの野球普及を足掛かりに、将来はアジア全体に野球を広げたい」。難病と闘った経験を持つ柴田さんは新たなチャレンジに向け、強い意気込みを示す。(時事通信運動部 小島輝久)

◆応援も併せ独特の雰囲気を

 参加資格は14歳から18歳まで。大会は5日間行われ、インドネシア各地から出場する8チームがリーグ戦と決勝トーナメントで優勝を争う。硬式球を使用し、ルールは6イニング制で2時間以内。チアリーディングやブラスバンドを日本の高校から募集する予定で、柴田さんは「独特の応援も併せて、甲子園球場の雰囲気を味わってもらいたい」と説明する。

 現在はシンガポールを拠点として、自ら設立した会社でコンサルティング業に携わる柴田さん自身も元甲子園球児。小学生の頃に全国大会で優勝するなど将来有望な「天才左腕」と評判になった。しかし、中学3年の時、難病に指定されているベーチェット病を発症。内臓に炎症を起こすなどの症状に苦しみ、医師からは「野球を続けると生命に関わる」とまで言われた。

◆病と闘いながら聖地へ

 物心がついてから、「夢はプロ野球選手」だったが、思いも寄らぬ病気に襲われたことで、断念せざるを得なくなった。それでも、大好きな野球を諦められない。目標を「甲子園大会に出ること」に切り替えると、病と闘いながら血のにじむような努力を続けた。

 愛工大名電高(愛知)に進み、3年生だった2007年の夏、左腕投手として甲子園のマウンドへ。地鳴りのようなスタンドの応援と熱気に包まれながら、ひたむきに白球に全力を注ぎ込む特別な舞台。その高揚感と充足感は、今も忘れられないという。

 東京六大学野球の明大でプレーし、育成ドラフト3位で巨人に入団。12年からのプロ3年間で1軍での出場機会こそなかったが、一度は諦めた夢もかなえることができた。その夢に到達できたのが、甲子園への思いや経験だと信じている。「甲子園という目標があったから頑張れたし、今の人生が開けた」。柴田さんにとって、甲子園は単なる場所ではなく、生きるための目標というキーワードでもある。

◆入社試験の厳しさに自問自答

 巨人を戦力外となり、球団職員を経て、就職活動をすることになった。「世の中のことを知らなかったから、それを埋めたい」という考えで、100人以上ものOB訪問をした。野球漬けの生活から一変。飛び込もうとした新しい世界は、優しくはなかった。「生活のためにとにかく就職したい」という思いで入社試験を受けたが、社会の厳しさを味わった。

 ある企業の役員面接で聞かれた質問が今も印象に残ってるという。「うちに入りたいという思いは分かった。でも、どういう人生を送りたいの?」。それに答えられず不合格。落ち込みながらも、「どう生きていくべきか」と自問自答した。「会社に入るのがゴールではない。経験した野球を通じて、社会に還元しないと意味がない。自分も他人も豊かにする」という結論へ。一念発起して外資系コンサルティング会社に入社し、5年前に独立。NB.ACADEMYを起業した。

◆子供たちに夢と目標を持たせたい

 今も病と闘いながらも、「日本とアジアの絆を強くしたい」と願う柴田さん。目的に向かう手段は、これまで自身の支えとなってきた野球だ。過去に野球教室などで子供たちにスポーツの楽しさと大切さを教えてきたが、それだけでは足りないことを痛感。夢や目標を持たせることが、人生を切り開く原動力になると考えた。

 野球の素晴らしさを伝えるにはどうすればいいか。知人の紹介で知り合った漫画家の三田紀房さんらに相談しながら、子供たちが夢を具現化できる「甲子園」という舞台の創出を立案。そのアイデアに共感した雪印メグミルクや吉野家をはじめ、現地企業などが大会スポンサーとして協力。25年以降も実施する方向で話が進んでいる。

 インドネシアは人口約2億7000万人と日本の2倍以上。野球人口はまだ3万人程度と認知度が低いが、柴田さんは「いろんな面からポテンシャルがある」と強調。日本で最も人気のあるイベントである甲子園大会を、単なるスポーツとしてではなく、教育や哲学、日本の世界に誇れる文化として浸透と拡大を狙っている。

◆野球を通じて恩返しも

 NB.ACADEMYは8月20日、東京都内で「アジア甲子園」の大会概要を発表。記者会見では「インドネシアでは野球はマイナー競技。そう簡単にはいかないのでは?」という厳しい質問も飛んだが、プロジェクトのメンバーはよどみなく、自信を持って答えた。

 プロ野球楽天の球団社長などを歴任し、理事として柴田さんを支える立花陽三さんは「ビジネスでもすぐに結果は出ない。まずは始めることと、強い気持ちでいかに腰を据えてやるかが大事。100年後にアジアから第二の大谷翔平が出るかもしれない」と期待を寄せる。柴田さんも「スターが出たら世界が変わる。この活動を長くやっていた価値があったね、と言ってもらえるようにしたい」と抱負を述べた。

 今回のプロジェクトには、スポンサーだけではなく、これまでの野球人生に関わった人々、甲子園のネーミングを認めてくれた阪神電鉄、交流を続けるプロ野球の日本野球機構(NPB)など多くのサポートがある。柴田さんは「そういう方々へ、野球通じて恩返ししたいという気持ちも込められている」と語った。