『ヴェンチュリ600LM/SLM』F1参戦メーカーが生んだフレンチGT【忘れがたき銘車たち】

AI要約

ヴェンチュリは1980年代中盤に誕生したスポーツカーメーカーで、500LMを生み出し、GTカーレースへの参戦を果たす。

500LMではル・マン24時間レースに挑み、600LM、600SLMへと続くモデルの登場もあったが、苦戦を強いられ1996年にGTカーレースから撤退した。

その歴史から始まり、GT1期の主役として活躍したヴェンチュリは、モータースポーツファンにとって記憶に残る存在となった。

『ヴェンチュリ600LM/SLM』F1参戦メーカーが生んだフレンチGT【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマはBPRグローバルGTシリーズ(BPR GT)やル・マン24時間レースを戦った『ヴェンチュリ600LM/SLM』です。

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 “ヴェンチュリ”という名前、皆さんはご存知だろうか。1990年代前半頃のF1を熱心に見ていた方のなかには、1992年にF1デビューを果たした片山右京の当時の所属チームであった“ヴェンチュリ・ラルース”で、その名を聞いたことがあるかもしれない。

 このヴェンチュリ、そもそも1980年代中盤にフランスで誕生したスポーツカーメーカーで、1992年に『ヴェンチュリ・ジェントルマン・ドライバーズ・トロフィーレース』という400によるワンメイクレースをスタートさせると、1993年には500LMを生み出していた。

 その500LMで同年、GTカーが再び参戦できるようになったル・マン24時間レースへとエントリーを果たすなど、F1のラルースチームへの資金援助とほぼ同時期に国際的なGTカーレースへの参戦をスタートした。

 ちなみに前述のワンメイクレース『ヴェンチュリ・ジェントルマン・ドライバーズ・トロフィーレース』がスタートしたのは、現在ヨーロッパやアジアなどで開催されているGTワールドチャレンジを主宰するSROの代表、ステファン・ラテルが自身の車両でレースをしたいという企画をヴェンチュリ本社に持ち込んだことに端を発している。

 1993年のル・マンに挑んだ500LMは、スチールモノコックのシャシーにカーボンのボディカウルを纏い、リヤミッドには500馬力を発揮するPRV製の3.0リッターV型6気筒ターボエンジンを搭載した車両だった。

 1994年になると600LMが登場する。この600LMではエンジンの最高出力を600馬力にアップ。その効果もあって1994年のBPR GTでは3勝を記録するも、ル・マンでの完走は達成することができなかった。

 ヴェンチュリは1995年、600LMをアップデートし、600SLMへと進化させた。SLMではエンジンパワーが650馬力へと引き上げられ、ボディカウルのデザインも空力を意識して見直された。

 結果、GTカーが本格的に主役となり“GT1期”が到来した同年のル・マンでは予選10位と健闘したものの、結局完走扱いとはならず。BPR GTでもこの年からマクラーレンF1 GTRなどの強力なライバルが登場したこともあって苦戦を余儀なくされてしまった。

 そしてヴェンチュリは翌1996年をもって、GTカーのレースシーンから姿を消すことになった。

[オートスポーツweb 2024年08月21日]