「あと3cm」「あと1人」で五輪を“逃した”日本王者が思うこと…走高跳・高橋渚(24歳)が振り返るパリまでの日々「ラッキーで行ける舞台じゃない」
高橋渚(センコー)はパリ五輪に出場できなかった走高跳選手。日本選手権で1m90cmの高さを跳べず、世界ランキングで32位以内に入れなかったことを悔やんでいる。
高橋は安定した実力を持ち、国内外の大会で好成績を積み重ねていた。しかし、目標としていた1m90cmの高さの壁を破せず、五輪出場を逃す結果となった。
女子走高跳競技は停滞期にあり、高橋の実績が新しい記録を生む可能性もあった。彼女は悔しさを乗り越えて、次なる目標に向かう決意を示している。
連日、さまざまな競技のメダル獲得に沸いたパリ五輪。日本中を熱狂の渦に巻き込んだ各選手の頑張りは、多くのファンにとって得難い経験となった。一方で、その夢の舞台に惜しくも立てなかったアスリートたちも、もちろん数多くいる。彼らはどんな思いでその後の日々を過ごしているのだろうか? 《NumberWebインタビュー全3回の1回目/つづきを読む》
あと、ほんの3cm。
わずか500円玉1枚分ほどの高さを越えられていたならば。この日、高橋渚(センコー)の姿は日本から遠く離れたフランスの地にあったはずだった。
ただ、スポーツの世界にタラレバはない。
8月初頭。35度のうだるような日本特有の暑さの中、神奈川県の陸上競技場のバックストレートで、何本もダッシュを繰り返す。地元の中学生たちも練習しているトラックで、走り込んでいる自分こそが現実だった。
――五輪、見ていますか?
「そうですね……ちょこちょことは」
熱戦がつづいていた五輪に関して尋ねると、高橋は少し間をおいて苦笑した。
「もちろん悔しさもありますし……なんて言うのかな。少なくとも今までとは違う見方になるのは間違いないと思います。海外転戦で一緒に戦った選手も多く出場しますし、これまで以上に自分に近しい舞台だと思って見ることになるのかなと」
6月に新潟で行われた日本選手権走高跳で、高橋は3連覇を達成した。1m87cmの優勝記録は2位以下に9cmの差をつける一人旅での圧勝劇だった。
一方で今回の日本選手権では、パリ五輪への世界ランキングでの出場もかかっていた。
獲得ポイントの関係で、今回の日本選手権で「1m90cmを跳んで優勝」できれば、出場圏内となる32位以内のランキングまで上がることができる計算だった。
結果的に高橋は、その大台を超えることができなかった。
「試合中はもう、何がなんでも跳びたい気持ちが強すぎて。それまでのチャレンジから現実的にも跳べるだろうとも思っていましたし。けど、やっぱ意気込みすぎというか……後から振り返ると、ちょっと余裕がなくなっていたなと」
今季、高橋の安定感は日本のトップジャンパーの中でも群を抜いていた。
国内外の大会で安定して1m80cm台の後半をマーク。5月の静岡国際では自己記録を更新する1m88cmの跳躍にも成功し、6月のニューヨークシティ・グランプリでは1m87cmの記録で2位に食い込んだ。慣れない環境の海外大会でも崩れることなく自分の跳躍を続けていたことは、高橋の実力の高さを物語るものでもあった。
現在、日本の女子走高跳という競技は停滞期にある。
日本記録は20年以上前に記録された1m96cmのままで、女子陸上競技の主要種目では日本最古の記録となっている。最後に日本人選手が1m90cmの大台を跳んだのも、実に11年前まで遡る。
そういった現状を鑑みた時、自身の記録の「壁」を破るには、この日本選手権がおあつらえ向きの舞台のはずだった。
「最初は来年の東京世界陸上が大きな目標にあったんです。でも、海外転戦をしてみて、実際にポイントの計算をしてみると『アレ、これパリ五輪も行けるんじゃない? 』と急に現実的に見えてきて。それだけに何としてでも跳びたかったんですけどね」
そんな背景もあって、大会後は五輪を決められなかった悔しさよりも「目標にしていた1m90cmが跳べなかった悔しさの方が大きかった」という。最終的に大会後の6月末時点で、上位32人の出場者が選ばれる世界ランキングで、34番目という形になった。