甲子園クイズ2)完成当時の甲子園大運動場の総収容人数は?

AI要約

1924年に誕生した阪神甲子園球場の総収容人員は8万人で、内野席と外野席に加えて立ち見も含まれていた。

球場の座席幅は1席あたり36.7センチで狭く、1924年当時の17歳男子の平均身長は160.3センチだった。

現在の阪神甲子園球場の定員は4万7千人余りで、初代球場を作った三崎省三の夢は体格向上に貢献した可能性がある。

甲子園クイズ2)完成当時の甲子園大運動場の総収容人数は?

■問題

1924(大正13)年8月1日に「甲子園大運動場」として誕生した阪神甲子園球場ですが、当時の総収容人員は何人だったでしょう?

A:4万人 B:6万人 C:8万人

■答え

C:8万人

■解説

 「甲子園大運動場建設概要」によれば、球場の座席数は5万人、総収容人員は8万人。鉄筋コンクリート造りの内野席が50段で2万9千席、築堤式木造スタンドの外野席は20段で2万1千席。あと3万人は立ち見などの想定です。座席はすべて長椅子で、総延長は「六万六百尺」(18.36キロ)とあります。座席の総延長を座席数で割ってみると、1席あたりの座席幅は36.7センチとなりました。なんとも狭いです。現在の電車のロングシート1席は、JIS規格では46センチです。

 実は、文部科学省の学校保健統計調査によれば、1924年の17歳男子の平均身長は160.3センチでした。当時の阪神電気鉄道代表取締役の三崎省三(せいぞう)は、明治中期に米国へ留学し、野球と出会いました。そして、楽しいスポーツで日本人の体格向上を目指そうと、100年前に甲子園をつくりました。今、17歳男子の平均身長は170.7センチ(学校保健統計調査、2022年)、甲子園球場の定員は4万7千人余りです。三崎の夢は、かなったのではないでしょうか。(丸山健夫・武庫川女子大名誉教授)