日本レスリングに「もう金メダルは無理」 ソ連崩壊で強豪分散…かつての「普通」を覆したパリ五輪

AI要約

パリ五輪期間中の日本の成績や注目の競技、特にレスリングの快進撃について詳細に紹介。

過去のオリンピックでの日本の成績と比較しつつ、レスリング界の変遷や日本の苦闘を振り返る。

日本のレスリング界が持っていた『普通』や『常識』を超え、金メダル20個という大偉業を成し遂げた過程を分析。

日本レスリングに「もう金メダルは無理」 ソ連崩壊で強豪分散…かつての「普通」を覆したパリ五輪

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 今回は連載「OGGIのオリンピックの沼にハマって」。スポーツ新聞社の記者として昭和・平成・令和と、五輪を含めスポーツを40年追い続けた「OGGI」こと荻島弘一氏が“沼”のように深いオリンピックの魅力を独自の視点で連日発信する。

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 パリ五輪が終わった。夏季8年ぶりに有観客で、大会に「普通」が戻ってきた。と同時に「普通じゃない」ことも多かった。JOCが目標に掲げた金メダル20個を達成するなどメダルラッシュは素晴らしかったが、その中には「普通じゃない」ことが多かった。

 レスリングの快進撃は「普通」ではなかった。金メダル8個もメダル11個も過去最多。男子は12階級中4階級で金メダル。64年東京大会は5個だったが、当時はフリーとグレコローマンで20階級。実質的には過去最高の成績といっていい。「グレコは勝てない」「中量級以上は無理」「女子も重量級は銅止まり」。すべての「普通」を覆した。

 100年前、同じパリで内藤克俊が銅メダルを獲得し、52年ヘルシンキ大会で石井庄八が金メダルを手にして以来続く「お家芸」。とはいえ、88年ソウル大会で佐藤満と小林孝至が連続金メダル記録を守ってから長い「低迷期」に入った。92年バルセロナ大会が赤石光生(現チームリーダー)の銅1個に終わり、その後は金なしが続いた。

 レスリング強国ソ連の崩壊で、強豪選手が散らばった。階級削減で日本が得意な軽量級がなくなった。旧ソ連国がアジアにも回り予選が厳しくなった。もちろん、あくまで金メダルは目指したが、世界選手権でも優勝から遠ざかり「もう金は無理」という空気があった。

 連続メダル獲得だけは続けたし、2004年アテネ大会からは女子が加わり、吉田沙保里と伊調馨というスーパーな2人が日本を支えた。88年ソウル以降20年もの間「男子は金じゃないメダルをなんとか1、2個」が日本レスリングの「常識」「普通」になっていた。