【自転車】太田りゆは女子スプリント敗退 東京大会は補欠、初の五輪でメダルには届かず

AI要約

太田りゆは、自転車競技での五輪舞台での敗退を経験し、過去の挫折に向き合う姿勢を示した。

過去の挫折に悩みながらも、自身の強さを取り戻し、日本自転車競技界に深い感動を残した。

太田りゆの涙は日本自転車競技界に残る歴史的な瞬間となり、その姿勢が多くの人々に感動を与えた。

<パリオリンピック(五輪):自転車/トラック>◇9日◇女子スプリント1回戦敗者復活戦◇サンカンタンアンイブリーヌ・ベロドローム

 太田りゆ(29=日本競輪選手会)は、3人で行われた1回戦敗者復活戦で敗退した。補欠だった東京を経て初めて挑んだ五輪の舞台が終わった。

 太田にとって最大の敵は己自身だった。陸上で鍛えたスプリント力は、自転車でも女子短距離では屈指の存在だった。だが、なぜか国際大会の舞台で、その実力を発揮できない時期があった。東京五輪をかけた20年世界選手権では、スプリントで26位、ケイリンは敗者復活戦での敗退。当時、代表入りが絶望的となり、レース直後に自転車競技からの引退を示唆するほどだった。

 東京でのリザーブを経て、あれから3年。今でも心に刺さった小さなとげになっていた。「ちょっと待ってくださいね。あの時のことを思い出すと、今でも涙が出てくるんです」。カールした長いまつげに涙があふれる。日本自転車界の美容番長。SNSにはモデルのような写真が並ぶ。そんな太田は、手鏡をのぞき込んで深呼吸してから口を開いた。「私は、周りにどう見られているかをすごく気にする。だから、見られたくない自分の泣き顔に『大丈夫』って言って落ち着かせるようにしたんです」。見てほしいのは最高の私。弱い心を魔法の手鏡で強くしていった。

 女子ケイリンでは、日本勢で歴代最高の9位。メダルには届かなかったが、太田りゆの流した涙は、日本自転車競技界の歴史に染み込んでいる。