斉藤立、父との約束果たせず 「俺がやらな」の思いでロス目指す パリ五輪柔道男子

AI要約

柔道男子100キロ超級で斉藤立は表彰台を逃し涙を流す。父は故・仁さん、親子二代の金メダル獲得はならず。

子供のころの稽古の思い出や父との突然の別れ、ジュニア合宿での転機が語られる。

仁さんの遺影を胸に初の五輪に挑むも世界の壁に苦しむ斉藤立。パリ五輪での挑戦を誓う。

柔道男子100キロ超級で斉藤立(たつる)(JESグループ)は準決勝に続いて3位決定戦も敗れ、表彰台さえも逃した。父は五輪で連覇を果たし、男子日本代表監督も務めた故・仁さん。親子二代の金メダル獲得はならず「情けない気持ちでいっぱい」と涙を流した。

子供のころ、実家の一室に敷かれた畳の上で、立は長男の一郎さんとともに何度も稽古をつけられた。足の位置はミリ単位で指導され、容赦なく怒号も飛んだ。小学6年で180センチになるなど、体はぐんぐん成長した一方、レールが敷かれた柔(やわら)の道にはやりがいを見いだせないでいた。父にも直接「やめたい」と伝えたこともあった。

中学1年のとき、父との突然の別れが訪れた。当初は実感が湧かなかったが、1カ月後に転機が訪れた。全国から有望なジュニア選手を集め、講道館で行われた合宿に参加。指導者たちから「お父さんの使っていたロッカーはここだよ」などと次々に声をかけられた。父の偉大さを思い知らされた立は、トイレで大泣きした。「俺がやらな、誰がやるねん」。それから朝の練習を行うようになり、稽古も最後まで居残るようになった。母の三恵子さんは「隙あらばごまかそうというタイプだったけど、本当に変わりました」と振り返る。

父の仁さんの遺影を胸に当ててから臨んだ初の五輪。世界の壁の高さを思い知らされた。準決勝は序盤こそ組み手争いで優位に立ったが、決めきれず、徐々に対応されると背負い投げで転がされた。三恵子さんは「負けパターンがいつも似ているので、(仁さんは)今頃すごく怒っているだろうなと思います」と目をはらしながら話した。

「お父さんと約束したのが五輪優勝だった。パリで勝ちたかった。ロサンゼルス五輪で何が何でもやり返さないといけない」とくちびるを震わせた立。「俺がやらな」の思いを胸に、4年後に向けた戦いが始まった。(大石豊佳)