再びのPK阻止で準々決勝へ「キック力が格段に上がった」五輪GK小久保玲央ブライアンが考えるキーパーの仕事「攻撃を終わらせる」プレーと睡眠、サッカーとの出会い

AI要約

小久保玲央ブライアンは、体重増加によるプラス面を生かし、キック力を上げることで大きな変化を感じている。弾くのではなく、キャッチすることに専念し、相手チームの攻撃を止めるための重要性を認識している。

睡眠にも重点を置き、8時間の睡眠を守ることでパフォーマンスを維持。睡眠サイクルを崩さないように注意し、日々の体調管理に気を配っている。

サッカーを始めたきっかけは幼少期に友人との楽しさから。レイソルの選手を追いかけ、プロ選手になる夢を抱くようになった。

再びのPK阻止で準々決勝へ「キック力が格段に上がった」五輪GK小久保玲央ブライアンが考えるキーパーの仕事「攻撃を終わらせる」プレーと睡眠、サッカーとの出会い

 初戦パラグアイ戦の好セーブに続いて、第2戦マリ戦では、後半アディショナルタイムのPK阻止など、数々のビッグセーブで、パリ五輪サッカー日本代表を、準々決勝へと導いた、大岩ジャパンの守護神、小久保玲央ブライアン。第7回は、体重を増やしたことによるプラス面から、チームを救うキーパーの仕事、アスリートにとって大切な睡眠、そして気になるサッカーとの出会いまで聞いた!

――体重が増加して、プレーに変化はありましたか?

小久保 体重を増やした結果、キック力が格段に上がったんです。高校時代はロングキックがハーフラインまでしか飛ばなかったんですけど、今は、ハーフラインを軽々と越せます。それに、海外の選手のシュートは威力があるので、そういうボールをキャッチするためには、強い体が必要です。なので、筋トレもしますし、強いボールを蹴ってもらって、それをキャッチするという練習をして感覚をつけています。

 キャッチをすれば、そこで相手チームの攻撃は終わります。でも、ボールを弾くとセカンドボールを相手に取られてしまう可能性があるので、試合中、弾きたい場面があっても、しっかりキャッチをしに行く。それがキーパーの仕事だし、チームの救いになります。

 強力なシュートを撃つ海外選手とプレーをしたことで、その大切さを改めて認識できました。アジアカップのときも、相手の攻撃を終わらせるキャッチが何回かできたので、それはすごく良かったなと思っています。

――サッカー日本代表でプレミア1部のブライトン所属の三苫薫選手やメジャーリーグ、ドジャース所属の大谷翔平選手など一流のアスリートは、睡眠を非常に大切にしていますが、小久保選手は睡眠のこだわりはありますか?

小久保 8時間睡眠を徹底しています。もし、翌日は8時に起きる予定だったら、それから逆算して0時には寝ようみたいな。7時間半とかに絶対ならないように、していますね。

 あと、昼寝も大切にしています。練習が午後からだったら、午前中に1時間くらい寝たり。試合があると、移動で眠れないときがあるんですけど、日本代表のときは、睡眠サイクルを崩さないように注意していますし、8時間睡眠が今の自分にフィットしていますね。

――では、小久保選手のサッカーとの出会いについて聞かせてください。サッカーを始めたきっかけは?

小久保 幼稚園にサッカースクールがあって、年長のときに、そのスクールに仲のよい友達が3人くらい通っていたので、自然とサッカーをするようになりました。そこで点を取る楽しさを覚えて、のめりこんでいったというのが始まりですね。

 小学校のときは、クラブに加えてレイソルスクールにも通うようになって、4年生のときに、レイソルと提携する柏エフォートに入りました。エフォートはレイソルと提携していたので、ある日、レイソルのボールボーイとしてプロ選手を間近で見る機会があったんです。

 当時、憧れていたのは、柏レイソルのサイドバックだったレアンドロ・ドミンゲス選手。フリーキックがきれいで、かっこいいなって思っていました。レイソルの選手を見て、プロになりたいという意識が芽生えたと思います。

――小学校のときのポジションは、キーパーではなくてフォワードだったそうですね。

小久保玲央ブライアン(こくぼ・れお・ぶらいあん) 2001年1月23日生まれ、千葉県出身。193センチ、91キロ。ナイジェリア人の父と日本人の母との間に生まれ、小学生時代は柏エフォートFCでプレー。柏レイソルU-15、U18で才能を伸ばし、18年、柏レイソルトップチームへ。同年1月開催の「アルカス国際カップ」で大会最優秀GKに選出されたことで世界的に注目され、翌19年1月、ポルトガル1部の強豪SLベンフィカのU-23チームに加入することに。20年8月には、UEFAユースリーグ決勝でレアル・マドリードと対戦。2-3で敗れるも、大会準優勝に貢献した。同年10月、2部SLベンフィカBで初ベンチ入り。22年1月、Bでデビューを果たし、5月にトップチームで初ベンチ入り。日本代表としては、U-15代表候補に選ばれたのを皮切りに、各年代で選出。今年4月のAFC U23アジアカップでは、数々のビッグセーブでパリ五輪出場権、アジア制覇に貢献。7月11日、ベルギー1部のシント=トロイデンVVへの完全移籍を発表した。