170cmの小柄でも…甲子園で準優勝“大谷翔平超えの二刀流”だった光星学院・城間竜兵(29歳)の今「社会人野球ではもうベテランなんで」

AI要約

大谷翔平との高校時代の思い出や現在の活躍について語る城間竜兵。彼は現在30歳で社会人野球選手としてチームでの地位を築いている。

城間竜兵は光星学院高校時代、投手と二塁手の両方で活躍し、大谷翔平との対戦も経験。若かった頃と変わらぬ練習量と意欲で現在も力を発揮している。

大谷翔平との初対面の印象や投手としての自信、光星学院時代の思い出など、城間竜兵の過去と現在が明かされる。

170cmの小柄でも…甲子園で準優勝“大谷翔平超えの二刀流”だった光星学院・城間竜兵(29歳)の今「社会人野球ではもうベテランなんで」

 いまもドジャースで活躍を続ける大谷翔平。高校時代、花巻東高(岩手)で活躍した大谷の「東北のライバル」のひとりだったのが、光星学院高(青森)の投手だった城間竜兵さんだ。幾度も顔を合わせた高校時代の記憶、そして今年で30歳を迎える「大谷翔平世代」の“現在地”とは――。現在は社会人野球のパナソニックで活躍する城間さんに聞いた。《NumberWebインタビュー全2回の1回目/つづきを読む》

 1994年生まれの、いわゆる”大谷翔平世代“は、今年で30歳を迎える。10月に誕生日を控えた城間竜兵は、今年で社会人野球8年目。名門・パナソニック野球部に根を下ろし、今ではチームカラーの青がすっかりなじんだ。

「プロ野球選手はそうでもないかもしれないですけれど、30歳手前は社会人野球ではベテラン扱いになるんです。下の選手がどんどん入ってきて、投手陣の中で僕は上から3番目になりました」

 それでも城間からは、いい意味でベテラン感をあまり感じない。

「練習量は今も若い頃と同じくらいやっていて、自分、結構元気なんですよ。年齢を重ねるとどうしても技術が……といきがちなんですけれど、練習量が落ちてしまうとフィジカル面も弱ってしまうので、そこだけは意識しているんです。ウエイトトレーニングとランメニューは毎日欠かしていませんが、練習終わりはストレッチを続けることが日課なんです。若い頃よりやらないと、この先やって行けないというくらいの気持ちでやっています」

 光星学院(現・八戸学院光星)では田村龍弘(ロッテ)や北條史也(阪神→三菱重工West)らと共にチームの中心的存在だった。投手、二塁手の“二刀流”で3年春、夏の甲子園で準優勝に貢献した姿は、高校野球ファンにも鮮明に記憶されているはずだ。

「今となれば投手と二塁手の兼任って大変やなって思いますけれど、あの頃は大変だとは思わなかったです。ずっと試合に出たかったので、ピッチャーをしない時はセカンドで試合に出られる嬉しさの方が大きかったです。元気でしたよね(笑)」

「今、同じことをやれと言われたらできないと思います」と城間は苦笑する。「ランニングしてピッチングをしてノックを受けてバッティングをして……全部のメニューをやらないといけないので大変といえば大変ですけれど、あの頃はやりがいしか感じなかったです」

 投手として、自信を持っていたのはコントロールだった。身長は170cmと決して身体は大きい方ではないが、当時は130km台後半の直球にキレのある変化球を丁寧にコースに投げ分ける。そのピッチングスタイルは今も変わっていない。

 精鋭たちが揃う光星学院でも、花巻東の大谷翔平の噂は1年生の時からもちきりだった。だが、城間は中学時代まで過ごした大阪で、身近に藤浪晋太郎(大阪桐蔭→阪神→メッツ3A)という大型右腕がいたため、最初は大きな衝撃はなかったという。

「それでも190cmくらいのピッチャーが東北にもいるのかって思いました。光星と花巻東はよく練習試合をするので1年生の時に初めて大谷を見たんですけれど、確かに大きかったし、持っているものはすごかったですね。1年生の時は細かったですけれど、僕らのチームにそこまで大きい選手がいなかったので、余計に大きく見えました。投げたら本当にボールが速かったですし」

 1年春の東北大会で、大谷が投げる試合をスタンドから観戦した。スコアボードのスピードガンに140km台の球速表示が続くのを見ると、自然とため息が漏れた。

「1年生でそこまで投げられるピッチャーは当時あまりいなかったですから。ただただすごいなって思うしかなかったですね」