ドジャース1年目「いつクビになるか…恥ずかしいですが何回か泣きました」「不安そうだった家族の顔が」斎藤隆が味わった“地獄から天国”

AI要約

36歳にしてのマイナー契約からドジャースのクローザーへと這い上がった斎藤隆氏。2006年に開幕直後に守護神として昇格し、最高のパフォーマンスを見せた。

守護神の座に就き、試合での感極まる瞬間を家族に報告するも、プロになってから忘れていた感情が蘇り、感涙する。

安定した投球で信頼を勝ち取り、クローザーに昇格。周囲からの支持を得ながら、初めての勝利やプレーで感極まる場面が続出した。

ドジャース1年目「いつクビになるか…恥ずかしいですが何回か泣きました」「不安そうだった家族の顔が」斎藤隆が味わった“地獄から天国”

 36歳にしてのマイナー契約からドジャースのクローザーへと這い上がった斎藤隆氏が知る、リアルな格差とサバイバルとは。(敬称略。全3回の第2回/第1回、第3回も配信中)

 本人さえもキャリアの終焉を意識した2006年、ベイスターズからドジャースに移籍した斎藤隆は復活した。36歳にして、それまでのプロ生活における最高のパフォーマンスを見せたといっても大げさではない。

 開幕直後にドジャースの守護神エリック・ガニエが故障し、斎藤はメジャーに昇格した。

 メジャーデビューを果たしたのは、ドジャースが開幕3連戦を終えて敵地に向かうタイミングだった。守護神のエリック・ガニエが故障し、首脳陣から声がかかった。昇格から2日後、フィリーズとのダブルヘッダー1試合目で出番が回ってくる。同点の8回途中からマウンドに立ち、2/3回を無失点に抑えた。

 試合はガニエの代役を務めた投手が失点してサヨナラ負けを喫したが、年俸が2億円から500万円になっても海を渡った36歳の夢は現実となった。

 試合後、球場から宿舎へと移動するチームバスの中で斎藤は携帯電話を握った。電話をかけたのは、日本で待つ家族。

「メジャーの試合で投げたよ」

 サヨナラ負けを喫したチームバスの雰囲気は重かったため、声をひそめて報告する。斎藤の目からは涙があふれた。

「マウンドで投げている時は、アウトを取らなければ、抑えなければ最後になるかもという思いだけでした」

 当時に思いをはせるような表情を浮かべながら――斎藤は続ける。

「試合が終わって家族に電話したら、理不尽な自分の思いを尊重してくれた感謝の気持ちから泣いてしまいました。学生の頃は悔し泣きやうれし泣きする時はありましたが、プロになってから忘れていた感情が自分の中に残っていたことに驚きました」

 メジャー昇格当初は試合中盤で起用されるケースが多かった。

 安定した投球を続ける斎藤に対する首脳陣やチームメートの信頼は増していく。8回、9回を任された投手陣が崩れたこともあり、5月中旬にはクローザーに座るまでになった。

「段々、みんなから認められていくのが分かりました。初勝利を挙げた時、控え捕手のサンディー・アロマー・ジュニアに『Welcome to Big League』と声をかけられました。恥ずかしいですけど、ドジャースでの1年目は何回か泣きました」