意味不明のギャグ信じ、「NHK上方漫才コンテスト」優勝…フースーヤ

AI要約

若手漫才コンビが上方漫才コンテストで優勝し、自由なスタイルが認められたエピソード。

コンビ結成から成功までの道のり、独創的な漫才スタイルについて。

困難を乗り越えても信念を持ち続け、優勝を果たすまでの5年間。

 「新感覚漫才」「爆走ギャグマシン」――。その芸風は、上方の伝統的なしゃべくり漫才と常に対比されてきた。賞レースでは長らく苦渋を味わったが、5月に行われた「第54回NHK上方漫才コンテスト」でついに優勝。「2人でやってきたことが報われた」。信じて突っ走ってきた自由なスタイルが認められた瞬間だった。

 小学生の頃から芸人になりたかったという谷口理と、目立ちたがり屋で芸能界に興味があった田中ショータイムは、高校で出会ってすぐ意気投合。「こいつとなら成功する」と直感した田中から「コンビを組もう」と誘った。同じ大学に進学し、4年の時に吉本興業のタレント養成所・NSCに入った。

 その芸は独創的だ。文化祭や修学旅行といったシチュエーションに沿って漫才を展開するのだが、突如として脈絡のないギャグの応酬が始まる。

 実はNSCに入ってすぐの頃は、言い間違いを軸にした王道のしゃべくり漫才を作っていた。だが、全くウケない。「みんなのネタを見た時に、普通の漫才をしてたら売れないと思いましたね」と谷口。

 ある日、先輩芸人から「2人でいつもふざけている感じで漫才したらええやん」と助言された。固定観念にとらわれていたことに気付き、学生時代に食堂で騒いだようなハイテンションで開放的なノリでやってみるうちに、光明が見えてきた。

 「頑張っていかないと、いけナッシング・トゥー・マッチ!」(谷口)「オー・マイ・ゴッドファーザー降臨!」(田中)。意味不明なフレーズを言い合い、2人で「ヨイショ!」とポーズを決めるギャグが当たり、芸歴1年目にしてテレビにも出演した。しかし長続きはせず、「3年目にはちゃんと飽きられた」と田中は振り返る。

 賞レースでも、一番笑いがとれるのに審査員の票につながらない。後日2人で話し合うが目立った反省点が見つからず、「じゃあ何をしたらええねん」と心が荒れる日々が5年ほども続いた。

 それでも腐らずにいられたのは、「方向性は合っている」という信念があったからだ。「ここまでやられたら笑ってしまうっていう漫才を作ったるわい!」と開き直り、ついに優勝をもぎ取った。「間違ってなかったよ、って判子を押してもらえた感じ」と笑う。