長嶋茂雄が「どうしてこんなことばかり」と嘆いた大乱闘…堀内恒夫からの顔面死球で「バッターとして終わった」ヤクルトの大明神・伊勢孝夫の告白

AI要約

1978年、ヤクルトスワローズが球団初のリーグ優勝を果たし、代打の切り札として活躍した伊勢孝夫の物語。

伊勢孝夫の勝負強いバッティングや、広岡達朗監督との信頼関係、そして運命を左右する一球について語られる。

開幕スターティングメンバーや伊勢孝夫の活躍するエピソードが振り返られ、球団初の栄冠に向けた軌跡が描かれる。

長嶋茂雄が「どうしてこんなことばかり」と嘆いた大乱闘…堀内恒夫からの顔面死球で「バッターとして終わった」ヤクルトの大明神・伊勢孝夫の告白

ヤクルトスワローズが球団初のリーグ優勝、そして日本一に輝いた1978年、代打の切り札としてチームを支えた伊勢孝夫。勝負強いバッティングで「伊勢大明神」と呼ばれ、指揮官・広岡達朗の信頼を得た男は、大荒れの巨人戦で顔面に死球を受け……。野球人生の分岐点になった“運命の一球”を振り返る。(連載第30回・伊勢孝夫編の#2/#1、#3、#4へ)※文中敬称略、名称や肩書きなどは当時

 1978年、広岡達朗率いるヤクルトスワローズは球団創設29年目にして初となるセ・リーグ制覇、そして日本一に輝いた。この年の開幕戦のスターティングメンバーは以下の通りである。

1.デーブ・ヒルトン(セカンド)

2.水谷新太郎(ショート)

3.若松勉(センター)

4.チャーリー・マニエル(ライト)

5.大杉勝男(ファースト)

6.福富邦夫(レフト)

7.八重樫幸雄(キャッチャー)

8.渡辺進(サード)

9.安田猛(ピッチャー)

 ペナントレースが進んでいくにつれ、レフトには杉浦享、サードにはベテランの船田和英、あるいは若手の角富士夫がスタメンに名を連ねるようになる。また、本連載でも述べたように相手選手との接触事故によって、シーズン途中に八重樫は戦線離脱。大矢明彦が正捕手に返り咲いた。そして、その勝負強いバッティングから「伊勢大明神」と称されていた伊勢孝夫は「代打の切り札」としての役割を与えられていた。

「あの頃はみんな、よぉ打った。ワシはずっとベンチで待機しているんだけど、5回過ぎからベンチ裏で身体を動かしたり、バットを振ったりして。それで、“ボチボチかな? ”って思っていると、広岡さんと目が合う。そういうことは何回かありましたよ」

 試合中盤以降、「ここぞ」という場面で「代打・伊勢」とコールされる。左投手ばかりではなく、右投手での起用も多かった。この年、広岡がもっとも頼りにしていたのが伊勢だった。開幕以来、伊勢の快進撃は続いた。5月12日の大洋ホエールズ戦では第1号ツーランホームランを記録し、28日の広島東洋カープ戦では抑えの切り札・江夏豊から2号逆転スリーランホームランを放っている。

「あれはね、たまたまですよ(笑)。あの日はたまたま近鉄の二軍が広島に来ていて、昔一緒にやっていた仲間がコーチになっていて、広島市民球場まで見に来てくれたんです。まぁ、それがあったから打てたというわけじゃないけど、たまたまですよ」

 本人は「たまたまです」と謙遜するが、78年シーズン前半戦、伊勢の快進撃はさらに続くことになる。