〈新潟〉産が、〈北海道〉で加工され、〈青森〉で利用されていた…じつは、縄文時代の日本は「かなり広範囲な流通網」がカバーされていたかもしれない驚愕の事実

AI要約

古代日本の三内丸山遺跡での発掘調査により、縄文人の生活についての常識が覆される。

遺跡からは農業や漁業の痕跡が見つかり、縄文人の定住生活が明らかになる。

発掘品には生活用品だけでなく、装飾品や衣服なども見つかり、縄文人の豊かな日常生活が垣間見える。

〈新潟〉産が、〈北海道〉で加工され、〈青森〉で利用されていた…じつは、縄文時代の日本は「かなり広範囲な流通網」がカバーされていたかもしれない驚愕の事実

あの時代になぜそんな技術が!?

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巨大掘立柱構造物跡をはじめとする、三内丸山遺跡で発掘されたおびただしい数の遺構、遺物は、従来の縄文時代についての通説を覆(くつがえ)すのに十分であった。

それまでの学校教育や歴史書のおかげで、縄文人といえば、われわれは、毛皮を身体にまとった姿を頭に描き、棍棒を振りかざして野山に獣を追い、木の実や草の根を集めて食料とする狩猟採集の原始生活人を想像してしまう。また、縄文人は、少人数の家族あるいはグループで、食料を求めて移動生活をする、というのが“常識”だった。

しかし、三内丸山遺跡における数々の発掘品の調査結果からは、常時500人ほどの人たちが、1500年もの間、1ヵ所に定住していたらしいことがわかっている。

これだけ多くの人たちが一定の場所に長期間定住するには、食料の安定した確保が必須条件である。狩猟や採集だけで、そのような食料を確保するのはきわめて困難であり、魚介類の漁に加え、少なくとも初期段階の農業や林業が営まれていたことは間違いない。事実、栗林を作って栗を主食料とし、稗(ひえ)、瓢(ひょうたん)、牛蒡(ごぼう)を栽培していた形跡が発見されている。

青森湾に注ぐ沖館川に面した斜面や谷は湿地になっており、そこに多くの「生活用品」が遺されていた。通常では腐ってしまうようなものでも、それらが酸素を遮断する湿った土の中にあったため、5000年間ほぼ原形のままで保存されたようだ。

発掘品の中には、骨や角で作られた釣り針、銛(もり)、縫い針、木製の艪(ろ)、漆を塗った器などの生活必需品のほかに、イノシシの牙や翡翠(ひすい)や琥珀(こはく)で作られたペンダントやネックレス、蔓製の腕輪のような装飾品も含まれる。

また、手足を保護する手甲や脚絆、鹿皮の衣服なども発掘されている。衣服には継ぎ当てと装飾を兼ねたアップリケ、襟元には縄や組み紐がつけられている。

もちろん、多量の土器や石器、土偶などの「腐らないもの」が発掘されていることはいうまでもない。

これらはいずれも、従来の縄文観における“常識”を覆し、縄文人の豊かな日常生活や精神生活を彷彿させるものばかりである。