なぜ異なる地域で似た文化が生まれるのか…数理モデルが解明する「人間社会」の普遍性

AI要約

バリ島を訪れた際に感じた異国情緒と、文化人類学の視点からの普遍性について述べられている。

異なる時代や地域で類似した王国の存在について考察され、文化の普遍性について問いかけられている。

模倣や独自創造によらず、共通の条件で人間が王国の典型的なパターンを生み出す普遍性について示唆されている。

なぜ異なる地域で似た文化が生まれるのか…数理モデルが解明する「人間社会」の普遍性

昨年、バリ島に行った。夕暮れ時、燃え盛る炎の中、上裸の男達が口ずさむリズムにのったケチャダンス、洞窟の寺院から煙たいほどに立ちこめる香、銅鑼や鉄琴の響きが心地よいガムラン音楽。これらはどれも異国情緒に溢れるものであった。

しかし、バリ人の方から、万物に神性を感じる世界観、祈りと祭りを軸とした生活について聞いたとき、日本の神道文化にも通じる懐かしさを感じた。遠く離れた地域の文化は一目には違っていても、根底でどこか似ているように思えた。

遠い地域の文化がなぜ似ているのか、これは文化人類学における一つの究極的な謎である。百年以上にわたり、文化人類学者たちは諸地域の文化を記述し、それらの間に構造的なパターンを見出してきた。

本稿では、数理モデルのシミュレーションによって、文化を生む仕組みを調べることで、人間文化に普遍的な構造がどのような条件下で、いかにして生まれるのかを探求する普遍人類学の試みを紹介する。

ところで、バリ島には王族がいる。王がいる「王国」といえばどのようなものを想像されるであろうか。

筆者であれば、おおざっぱに「王がおり、貴族がおり、彼らが民衆から税や貢物を徴収していて、王や貴族たちは強い軍事力を保持している。おそらくは身分によって居住区画や職業が区別されていて、そうした身分は世襲的である。」というイメージを持つ。

今のバリ島はインドネシアに属していて、王の権力は制限されているが、少なくともオランダによる占領前の19世紀のバリの王国はこのイメージがおおよそ当てはまるものであった。

実はこの王国のイメージは、異なる時代、異なる地域の王国にも当てはまる。

例えば、漫画『キングダム』でお馴染みの紀元前中国の秦国もそうであるし、少し時代が下ったローマ帝国にも当てはまる。15世紀には南米にインカ帝国が栄え、現代では二十の国が王を戴いている。

このような時間や空間を超えた社会の類似性は何に由来するのであろうか。

一つの要因は近隣社会の模倣であろう。平安時代の日本は都市計画や法体系について、中国を模倣していた。

しかし、ローマ帝国が中華王朝を模倣したのであろうか?あるいは、ローマ帝国と中華王朝が共通の何かを模倣したことで、両者が似た政体を持つに至ったのであろうか? コロンブス以前に文化的な接触がほとんどなかったはずのアメリカ大陸に、ユーラシア大陸のそれと似た王国が存在したのはなぜなのか?

ローマ帝国、中華王朝、インカ帝国、あるいはその他の王国が模倣によらずに、類似性を獲得しているとすれば、上にイメージとして述べた王国の典型的なパターンが、さまざまな時代や地域で独立に生み出されたことになる。それは人間が集まって社会をつくる際に、なんらかの条件が満たされさえすればいつでも発現する普遍性と呼べるかもしれない。