カマラ・ハリスが語る「ベールに包まれた父」と「ジャマイカ・ルーツ」

AI要約

ドナルド・ハリスが娘たちをコンサートに連れて行き、カマラはボブ・マーリーに感銘を受けた。

父娘のジャマイカルーツに触れた親子の時間が大切だった。

ドナルドは娘たちのアイデンティティ形成にジャマイカのルーツを忘れさせないよう努めていた。

カマラ・ハリスが語る「ベールに包まれた父」と「ジャマイカ・ルーツ」

1978年夏、ドナルド・ハリスは2人の娘をカリフォルニア州バークレーのグリークシアターへ連れて行った。長女のカマラが13歳のときだ。

娘たちにとって初めてのコンサートのアーティストに父が選んだのは、「ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ」だった。カマラはジャマイカ生まれのレゲエの神様に心を奪われたという。

「そのパフォーマンスに圧倒され、畏怖の念を抱きました」と、カマラはワシントン・ポスト紙のメール取材に答えている。「今でも、ボブ・マーリーのほぼ全曲の歌詞を覚えています」

それはただのコンサートではなく、ジャマイカ出身のドナルド・ハリスが、アメリカ生まれの娘2人に父方のルーツに触れてもらおうとした親子の時間だった。

カマラは言う。

「父は多くのジャマイカ人と同じく、ジャマイカのルーツに大きな誇りを持ち、同じ誇りを私と妹に植えつけました。私たちがどこから来たのか、その歴史とジャマイカ人の苦闘と美しさ、そして豊かな文化を父は教えてくれたのです」

カマラ・ハリスの父親はジャマイカ生まれの経済学者、母親はインド生まれの乳がん研究者であり、2人はバークレー大学大学院で出会った。だがカマラが7歳のときに両親は離婚。親権争いの結果、カマラと妹のマヤは母親に育てられた。

父親と一緒に過ごせるのは週末や夏休みだけ。ボブ・マーリーのコンサートへ行った日も、そんな夏の1日だった。

アメリカ史上初の女性、黒人、アジア人の副大統領誕生に国じゅうが熱狂するなか、カマラの父親ドナルド・ハリス(82)はずっと注目を浴びないように表舞台を避けている。

著名な経済学者であるドナルドは1998年にスタンフォード大学の教授職を退任した後、ワシントンDCに移って世界銀行などの顧問を務めた。ポスト紙によれば、ドナルドはカマラが上院議員としてワシントンに借りているコンドミニアムの近くに住んでおり、父と娘の関係は良好だという。

しかし、スポットライトを嫌うドナルドが1月20日の就任式やその後のイベントなどに出席するかどうかは、ハリスの政権移行チームもわからないとしている。

ただし、それはドナルドが政治にはかかわりたくないというだけで、娘と距離を置きたいわけではない。むしろジャマイカのルーツを持つ娘の偉業を誇りに思っているはずだ。

離婚のために娘たちと過ごせる時間は限られていたが、ドナルドはカマラと妹マヤのアイデンティティ形成期にジャマイカのルーツも忘れさせないようにするのが、父親の務めだと考えていた。彼は2018年にジャマイカのメディアに寄稿したエッセイで、その人生哲学を「自分がどこから来たかを忘れてはならない」と表現している。