紫式部のソウルメイトは道長ではなくあの貴族? 大河ドラマ「光る君へ」時代考証のプロが語った平安貴族の恋愛模様

AI要約

平安貴族の日記など古記録研究の第一人者で、NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代考証を担当する倉本一宏・国際日本文化研究センター教授の退任記念講演が行われた。

講演では、一条天皇の皇后である彰子の下での「申次女房」としての政治的役割について語られた。

倉本教授は、摂関期古記録データベースの構築や紫式部の実像探索などに取り組んでおり、紫式部の第三の人生について客観的な記録から考察した。

また、倉本教授は紙が源氏物語の記述に必要だったこと、実質が彰子に女房を通じて権力を担う役割を果たしていたことなどを紹介しながら、紫式部の実像について解説した。

紫式部のソウルメイトは道長ではなくあの貴族? 大河ドラマ「光る君へ」時代考証のプロが語った平安貴族の恋愛模様

 平安貴族の日記など古記録研究の第一人者で、NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代考証を担当する倉本一宏・国際日本文化研究センター教授の退任記念講演が3月に同センターであった。「紫式部-その第三の人生」と題して、一条天皇の皇后となる彰子(しょうし)の下での「申次(もうしつぎ)女房」としての政治的役割について語った。

 倉本さんは、9世紀から12世紀にかけての貴族の日記「御堂関白記(みどうかんぱくき)」(藤原道長)や「小右記(しょうゆうき)」(藤原実資(さねすけ))などの訓読文(現在約558万字)をデータベース化し、「摂関期古記録データベース」として日文研サイトで公開、平安時代の政治と文化に関する重要な一次資料となっている。

 この日は、紫式部集から垣間見られる妻として母としての「第一の人生」、源氏物語と紫式部日記の作者としての「第二の人生」、その後を「第三の人生」とし、自著である講談社現代新書「紫式部と藤原道長」を踏まえて講演した。

 紫式部集や紫式部日記には、男性関係など都合の悪い歌を省いて「彼氏からのメールを消去するように、なかったものにする」(倉本さん)などと「自叙伝」として脚色した可能性があるとし、客観的な記録である実資の小右記などから不明である「第三の人生」を含めて紫式部の実像を探ったという。

 源氏物語を記すためには、貴重だった紙が大量に必要だった。このことから紙は道長が用意して「一条天皇を(娘の)彰子に引き付ける『えさ』として道長が(彰子の下の紫式部に)命令して書かせた」と推し量る。実際に彰子に子が生まれたことから「道長は思い通りに物事が動いた」とした。

 紫式部日記には紫式部が実資にわざわざ声をかけ、その応答を評価する記述がある。一方、実資の小右記には「女房」の記述が各所にあり、「越後守(藤原)為時の女」との記された箇所もあることから、紫式部と分かる。

 親しい関係を示す「逢(あ)う」と記したり、女房が最高機密である親王や道長の病状を伝えていたりしていることから、紫式部と実資は「ウマが合った」「仲が良かった」と指摘。実資は人事などについて、女房を窓口に彰子を通じて道長にわたりをつけており、紫式部は「申次女房」として権力の一翼を担っていたと説明した。

 ただ、彰子と道長の関係が悪くなってからは、実資は彰子を頼ることがなくなり、女房との関わりも途絶えるようになったのではないかという。

 倉本さんは、大河ドラマでは道長と紫式部の恋愛感情が描かれるが、「紫式部の『ソウルメイト』は道長ではなく実資。道長はビジネス関係」と推察した。当時は限られた人しか源氏物語を読めなかったこともあり、「(紫式部の時代は)物語より和歌、和歌より漢詩。物語の作者というより女房という認識が持たれていただろう」とし、紫式部の「第三の人生」が長かった可能性を古記録から示しながら、今後の大河ドラマの演出に関心を寄せた。