万博が開催された丘に400年の歴史ある街「ニュータウン」に残る大阪最古の木造校舎【兵動大樹の今昔さんぽ】

AI要約

千里中央駅前からスタートして、古い建物やニュータウンの歴史を辿る。

千里セルシーの閉館や上新田地区の歴史を紐解きつつ、街の人々との交流を通じて街の変遷を感じる。

上新田地区の独自の歴史や新田小学校の建物の保存状況を知り、地域の住民とのつながりを感じる。

万博が開催された丘に400年の歴史ある街「ニュータウン」に残る大阪最古の木造校舎【兵動大樹の今昔さんぽ】

1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ

今回は北大阪急行電鉄・大阪モノレールの千里中央駅前からスタート。駅前にはショッピングモール「せんちゅうパル」があり、地元の買い物客などでにぎわっています。

今回の写真は1992年(平成4年)に大阪・豊中市内で撮影された写真です。古い建物があり、よく見ると「旧新田(しんでん)小学校々舎」と書かれています。

写真について街の人に聞きながら歩いていると、兵動さんも以前訪れた、旧・千里セルシーがありました。

1972年(昭和47年)に開業した千里セルシーは、千里ニュータウンの中核アミューズメント施設として誕生。しかし大阪北部地震の影響もあり、2022年に完全閉館しました。

街の人に教えてもらった上新田方面へ向かうと、「上新田天神社」と書かれた標識を発見。同じ標識に「旧新田小学校校舎」の文字も。

上新田天神社で宮司の中村暢晃さんに話を聞くと、かつて「新田村」と呼ばれたこの地域は、400年の歴史がある街だそう。

【兵動さん】「この辺は万博の時に開発されたんですか?」

【上新田天神社 宮司 中村暢晃さん】「日本で初めてニュータウン開発されたのが、千里ニュータウン」

現在の吹田市や豊中市などに広がる千里丘陵を、1961年(昭和36年)に大規模な宅地開発で造成したのが「千里ニュータウン」。そして1970年(昭和45年)、千里丘陵で「日本万国博覧会(大阪万博)」が開催されたのです。

今回のスタート地点の千里中央も、かつて上新田(旧新田村)地区に含まれていたとのこと。

千里中央の南側に位置する上新田地区。住民の反対などもありニュータウン開発から逃れ、古い街並みが残ります。しかし大阪府の“副都心”として便利な立地のため、近年は各地から移住者が増加し、街の姿が変わってきました。

そんな中、写真の建物は今もあるということです。

旧新田小学校に詳しい、上新田在住の山田昭治さんに話を聞くことに。

現在83歳の山田さんは、新田小学校の卒業生。山田さんが新田小学校を卒業した1953年(昭和28年)、新田村は豊中市となりました。

新田小学校は1900年(明治33年)に建てられ、大阪府で現存する最古の木造校舎だといいます。