鹿児島県奄美市 くれないの塔慰霊式 語り継ぐ決意新たに 殉職隊員らに祈り

AI要約

海上自衛隊鹿屋航空基地哨戒機の13人乗り患者用血液輸送機が墜落、62年の慰霊式が行われた。

市長や司令のあいさつ、遺族の参列などで事故の悲しみを共有し、安らかな眠りを願った。

慰霊飛行や献花後、「くれないの塔」で焼香を行い、事故現場に敬意を示した。

鹿児島県奄美市 くれないの塔慰霊式 語り継ぐ決意新たに 殉職隊員らに祈り

 急患用血液を輸送中の海上自衛隊鹿屋航空基地所属の哨戒機が鹿児島県奄美市名瀬の「らんかん山」に墜落し、13人が犠牲となった事故から62年。今年も奄美大島青年会議所(JC、沖道成理事長)主催による慰霊式典が同市の名瀬小学校体育館であった。海上自衛隊第一航空群(鹿屋)司令や遺族ら80人が参列。参列者は黙とうや献花を通して殉職した隊員や住民へ祈りをささげ、事故を風化させず語り継ぐ決意を新たにした。

 慰霊式の前に同基地所属で鹿児島県出身の新納宗春一等海尉(32)が機長を担当したP―1哨戒機が名瀬市街地上空を慰霊飛行した。

 慰霊式で安田壮平奄美市長は「くれないの塔の下に眠る12人の崇高な魂と不慮の犠牲になられた市民のみ霊に対し、衷心よりご冥福(めいふく)を祈るとともに、最愛の家族を失われ、深い悲しみを抱えながらも多くの困難を乗り越えた皆様に深甚なる哀悼の言葉をささげる」とあいさつ。海自の第一航空群(鹿屋)司令の大西哲海将補は「慰霊式を開催していただき、感謝している。また、お集まりいただいた皆様には長年にわたり、慰霊していただき、衷心より厚くお礼を申し上げる。事故から62年を経過した今日でもこのことは鹿屋航空基地の隊員の心に深く刻まれている。人も哨戒機も変わっていくが、このような凄惨(せいさん)な事故を繰り返すことのないように、より精強でいかなる状況にも即応できるように目指して日々の訓練に励んでおり、皆様の期待に応えていきたい」とあいさつした。

 事故で親戚を亡くしたという福岡県在住の岩元一雄さん(49)は姉の池之上智美さん(54)と一緒に初めて参列した。岩元さんは「母から事故について聞いいたが、より詳しい話を聞いて、血液を搬送することの大事さと自衛隊の皆さんの責任感の強さを実感した。らんかん山にも登ってみたい」と語った。

 式典後、献花された花はらんかん山の事故現場付近に建てられた「くれないの塔」に移動。関係者らは焼香し、当時に思いをはせた。

 JCの沖理事長は「この活動を通じて離島医療の大変さと自衛隊に対する感謝を奄美市民だけではなく、群島全体に広がってほしい」と話した。