鹿児島県 犠牲者悼み清掃活動 自衛隊機墜落から62年 奄美市名瀬「くれないの塔」

AI要約

自衛隊機が名瀬市に墜落し、13人が犠牲となる事故から62年。慰霊碑"くれないの塔"が建てられ、清掃活動が行われた。

1962年に起きた事故では海上自衛隊の対潜哨戒機が妊婦への輸血用血液を空輸中に墜落。63年に慰霊碑建立。95年から献血の日として制定。

清掃作業は奉仕活動の一環。現地で慰霊碑周辺の清掃や石碑の水拭きが行われる。

鹿児島県 犠牲者悼み清掃活動 自衛隊機墜落から62年 奄美市名瀬「くれないの塔」

 自衛隊機が名瀬市(現奄美市名瀬)に墜落し、13人が犠牲となった事故から62年。31日、慰霊碑「くれないの塔」が建てられた、事故現場のらんかん山で清掃活動が行われた。主催する奄美大島青年会議所(沖道成理事長)=JC=はじめ自衛隊、警察など関係者、地元住民ら約50人が参加。事故の風化を防ごうと、奉仕活動を通し追悼の意を表した。

 1962(昭和37)年9月3日午後4時55分頃、海上自衛隊鹿屋第一航空群(鹿屋航空基地)所属のP2V対潜哨戒機が妊婦への輸血用血液を奄美大島へ向け空輸中、らんかん山で墜落。搭乗員12人、住民1人が死亡した。63年、JCが中心となり「くれないの塔」を建立。95年から奄美市は同日を「献血の日」と制定した。

 清掃作業は慰霊碑が建立された、1963年から続く奉仕活動。この日は午前8時半頃から作業を開始。慰霊碑周辺をはじめ舗装路や側溝などの掃き作業ほか、各石碑の水拭きなどが実施された。

 小学5年生の時、事故を目撃した柳町中央自治会長の本田親義さん(72)も作業に参加。「大学生の兄を見送りに名瀬港へ向かったところ、立神(港沖にある岩)の方向から低空で旋回していた」と振り返り、「これからも清掃と慰霊祭が続き、事故が語り継がれていけば」と願いを語った。

 JC・くれないの塔慰霊式実行委員長の吉岡昭典さん(35)は「60年以上前の出来事で風化させないよう、毎年、慰霊の思いを込め清掃活動を続けているが、奄美の歴史を知る機会にもなる。今後も多くの方が参加できるよう周知していきたい」と話した。

 1日、同市名瀬の名瀬小学校体育館で慰霊式を開催。関係者約50人が参列し「くれないの塔」で焼香するほか、海自鹿屋航空基地所属の哨戒機による慰霊飛行が予定されている。