「つぐみは運動神経が高かったわけではない」ダブル金の立役者・桜井優史監督が語るパリ五輪への道のり

AI要約

パリ五輪でレスリングの桜井つぐみ選手と清岡幸大郎選手がダブル金メダルを獲得し、高知県にとって92年ぶりの金メダリスト誕生となった。

桜井優史監督はつぐみ選手の父であり、清岡選手の恩師として、2人の活躍に感慨深い思いを語っている。

つぐみ選手は子供の頃から五輪での優勝を夢見ており、高知からの金メダリストとして、若いアスリートたちに夢への挑戦を促している。

「つぐみは運動神経が高かったわけではない」ダブル金の立役者・桜井優史監督が語るパリ五輪への道のり

玉井新平アナウンサー・川辺世里奈アナウンサー:

パリ五輪はレスリングの桜井つぐみ選手、そして清岡幸大郎選手のダブル金、そして金メダリスト誕生は高知県として92年ぶりという嬉しいニュースとともに幕を閉じました。スタジオにダブル金の立役者、桜井優史監督にお越しいただきました。

玉井アナ:桜井監督はおととい(13日)パリから帰ってこられてどうですか。

桜井優史監督:そうですね。出迎えとかでですね。少しずつ実感が湧いているところなんですけど。まだ夢の続きいるような感じで。

川辺アナ:改めてご紹介します。桜井監督は桜井つぐみ選手の父であり、清岡幸大郎選手の恩師でいらっしゃいます。 こちらは高知レスリングクラブ立ち上げの時の写真です。監督、懐かしいんじゃないですか。

桜井優史監督:本当に初めの頃なので、3歳か2歳の頃(約20年前)だったと思います。

川辺アナ:ここから全てが始まったわけですが、この時はお2人がオリンピック金メダルを取ると思ってらっしゃいましたか。

桜井優史監督:クラブを立ち上げた時には、日本一の選手を作りたいということでクラブを立ち上げたんですけど、この時点では今の状況は想像できなかったです。

玉井アナ:金メダル確定した瞬間に3人で抱き合います。どんな気持ちでした?

桜井優史監督:本当に金メダルを取らせてやりたかったので。本当によく頑張ったっていうことで、すごく私も嬉しかったですね。

玉井アナ:桜井さんはつぐみ選手が金メダルを取る確信っていうのは最初からありました?

桜井優史監督:世界選手権も3連覇してますので、つぐみの普段の力を出せれば大丈夫なんじゃないかなっていう思いがあったんですけど。ただ五輪の舞台ですので、それができるかどうかっていうのが少し不安なところもありました。

玉井アナ:金メダル取ってからはどんな話をされました?

桜井優史監督:あんまり話はできてないんですけど、本当に良かったねっていうことで、頑張ってよかったねっていう話をしました。おめでとうっていうことを伝えました。

川辺アナウンサー:そして桜井選手とのお写真もあるんですよね。こちらですね。これはいつ撮ったお写真ですか?

桜井優史監督:試合終わった後で、本人は記者会見とかドーピング検査とか色々あって。終わるのを待って。五輪の金メダル、私の夢でもあったので、かけさせてもらいにいきました。

川辺アナ:そしてですね、もう1人の教え子、清岡選手も強かったですよね。清岡選手の試合はどのようにご覧になりましたか?。

桜井優史監督:すごく仕上がりも良かったので、つぐみが優勝した後ですごく期待をして見てたんですけど、本当にノリノリで、これまで以上のすごい仕上がりで、いい試合をしてくれました。本当に普段の力以上というか、大きな舞台でこれまでも力を発揮してきた選手ですので、これまで以上の素晴らしいレスリングをしてきましたね。

玉井アナ:そして試合後の清岡選手のコメントをお聞きください。

清岡選手 試合後のコメント:

ずっと見てきてもらった先生に、ずっと一緒に戦ってきたつぐみと2人で金メダルという結果を残して、またその金メダルを2つ一気に桜井先生にかけられたっていうのは、本当にこれ以上ない幸せなことだと思いますし、桜井先生にとってもこれまで頑張ってきたことが報われたんじゃないかなと思っています。

川辺アナ:2人から金メダルをかけられるシーンが印象的でしたよね。

桜井優史監督:正直、感情もよくわからないような感じだったんですけど、今考えるとこれが夢のような瞬間だったんじゃないかなと思います。

玉井アナ:さんさんテレビはつぐみさんが世界に出る前から取材をしています。小さい時につぐみさんを指導する時の映像、僕は覚えているんですが、結構厳しめに指導されてましたよね?

桜井優史監督:そうですね。子供たちの夢が、目標が高いレベルにありましたので。結構厳しくやってました。

玉井アナ:これが当時つぐみさんが中学1年生の時。普通の少女であればここから反抗期あると思うんですけれど、指導はどのようにしてきましたか?

桜井優史監督:中学校の時は本当につぐみは素直で。しっかり頑張ってくれてて。 高校に入って、私と同じ学校に来てから、 少し反抗期的なものもあってですね。なかなかうまくいかないこともありました。

川辺アナ:でも、自分の娘さんですから、怒る時にかなり心を鬼にしないとというか、可哀想だけど言わなきゃいけないみたいな葛藤はなかったですか?

桜井優史監督:つぐみもなかなか勝てない時期もあってですね。けど、それでも一生懸命やってて、つぐみも勝ちたいし、私も勝たせたいっていう思いがあったので、本当に一生懸命やってた形が厳しくっていうところで。

玉井アナ:つぐみ選手は中学校1年で「夢は五輪で優勝することです」と語ってくれていました。はっきりと五輪で金(メダル)を取りたいという夢はいつ頃から?

桜井優史監督:多分、小学校3年生頃からだと思います。ちょうどその頃に五輪3連覇の吉田選手であったりとか、4連覇の伊調選手であったりとか、そういった方と触れ合う機会があったので、その辺りから五輪を意識するようになりました。

玉井アナ:女子レスリング黄金時代に刺激されたというところなんですね。

玉井アナ:高知という土地から一挙に2人の金メダリストが出ました。パリでの記者会見では、つぐみ選手にこんな質問が出ました。

記者の質問:桜井選手から今高知で頑張っているアスリートの人たちに、ここまで到達するためにどんなことをしたらいいのかエールを送ってもらいたい。

桜井つぐみ選手: 昔は高知から五輪を目指せるなんて正直遠いなって思った時もあったけど、それでも本気で目指すことをすれば絶対に夢は叶えられるなっていう風に思ったので、これを見て小さい子たちが自分の夢を目指して頑張ってくれたら嬉しいなっていう風に思います。

桜井優史監督:本当にその道を歩んできたからこそ出た言葉だと思いますので。つぐみも普通の女の子で、特に運動神経とか身体能力が高かったわけではないですので、本当にいろんな思いを、いろんなことを乗り越えてこの場にいるので、すごく重たい言葉だと思います。

玉井アナウンサー:つぐみさんの身体能力が高くなかった?

桜井優史監督:全然。走っても遅いですし。つぐみのことを知っている方は分かると思います。

玉井アナ:すごいですね。その影に膨大な努力があったということなんですね。

聞きたいことまだまだいっぱいあるんですが、続きは桜井選手と清岡選手と一緒にということでどうでしょうか?

桜井優史監督:そうですね、近々帰る予定があるので。

玉井アナ・川辺アナ:

ありがとうございます。今日はお忙しいところ本当にありがとうございました。