【報道特集】四万十川水難事故17年(上)

AI要約

高知県・四万十川で起きた甲賀市内の小学生2人の溺死事故について、父親が取材に応じ、亡くなった娘からのメッセージを支えに歩んできた思いと再発防止の願いを語った。

事故原因は事前調査や監視体制の不備によるもので、沙紀さんは助けを求める手振りをしていたと報告されている。

崇宏さんは事故から17年、家族の絵と沙紀さんのメッセージ『笑うが一番』に支えられてきた。さらに、安全確認と備えを重視することを訴えた。

【報道特集】四万十川水難事故17年(上)

17年前に高知県・四万十川で、甲賀市内の小学生2人が溺れて死亡した事故。今回、父親が取材に応じ、亡くなった娘からのメッセージを支えに歩んできた思いと、再発防止への願いを語りました。

2007年7月31日、高知県・四万十川で甲賀市教育委員会が主催した野外体験講座で、信楽小学校の6年生と5年生の女子児童2人が死亡する事故が起きました。

事故調査報告書によりますと、川の危険箇所の確認ができていないなど事前調査や監視体制に不備があったことなどが指摘されました。川遊びをした付近は、川床が滑りやすく、子どもの身長以上の深みもある極めて危険な場所でした。

亡くなった美馬沙紀さんの父、崇宏さんは、出発時に寂しそうな表情だった沙紀さんを見て「帰って来たら抱きしめてやろう」と思っていたと振り返ります。

しかし、その思いはかないませんでした。

崇宏さんは「警察から聞いたが、深い所があって、水遊びしていたあたりから急に水深が深くなって、そこに岩がせり出していて、そこに苔が生えていた。そこに必死でね、手の跡が、登ろうとした跡が、ついていたと」と話しました。

報告書などによりますと、沙紀さんは溺れた5年生の場所を知らせるように、左手を上げ、助けようとしていたということです。

崇宏さんは「当時亡くなった時、11歳。12歳になる前だった。17年だから29歳になる年。もう結婚して子どもがいてもおかしくない。毎年来てくれる友達も、そういう形になっている。妹も結婚して子ども生まれている。それだけ変わっているけれど、私らの中の沙紀は、あのまま」と声を詰まらせました。

事故から17年の間、崇宏さんが支えにしてきたものがあります。沙紀さんが家族の絵とともに書いたメッセージです。「絵が好きでね。しょっちゅう家族の絵とか描いていた。亡くなってから、この言葉『笑うが一番』これ、これだけに、支えられてきたみたいな部分がある」。

崇宏さんは、事故前日に地元で行われた「いかだ下り」のイベントを思い返し、悔しさをにじませました。この日、子どもたちには、ライフジャケットを着せて、川の中にも大人が入って監視しました。沙紀さんも参加して楽しんでいたと言います。「(沙紀さんが)『これ、すごいなあ』と言って、この時に実際に着てみて、水に落ちた時にぷわっと浮いたらしい。次の日川に行くのは知っていたが、もちろん市主催のことやから、完全にきちんとされているであろうという思いだった」。

しかし、市教委は、川遊びに必要な安全確認や水への備えがない状態で安易に川遊びをさせ事故が起こりました。

崇宏さんは、子どもの命を守るための備えと学びの両立を訴えます。「川遊び、水遊びがあかんではなく、まさかこんなことないだろうということが起きるから、きちんとした装備していたら楽しい遊びで終われるのにと思う」