新幹線100系 当時(1990)の国内最速「277km/h」を記録!でも営業運転は実現せず...なぜ?【新幹線・東京~博多全通50周年(8)】
東海道・山陽新幹線は、2024年度に50周年を迎える。
RSK山陽放送が新幹線に関する貴重な動画38本を公開。
1990年、100系新幹線が時速275km/hのスピードアップに挑戦。
■「東海道・山陽新幹線」記念すべき2024年度 50年前に何があった?
来年3月10日で、東海道・山陽新幹線は「東京-博多全通50年」を迎えます。
RSK山陽放送(1953年創業)は71年に渡る放送の歴史の中で、新幹線に関わる数多くの貴重動画を保存していて、「RSKイブニングニュース・YouTubeチャンネル」では、再生リスト「新幹線・貴重映像大集合」にてそのうち38本の動画を公開しています。
RSK山陽放送では、38回シリーズ(予定)で、その内容を画像を交えてインターネット記事として紹介していきます。
8回目は「100系が45キロもスピードアップ?!」です。
■1990年2月9日 この日の100系は一味違った!
時は1990年、ドイツが東西統一を果たした年の2月9日。午後10時前に新下関駅のホームに滑り込んできた100系は、何だか妙な違和感がありました。
正面の「鼻の上」に書かれているのは「We try 275(ツーセブンファイブ)」という文字。【第6回】の記事のように、0系ならば鼻ごと取り替えて宣伝が出来ますが、100系はそうはいかなかったんでしょうね。
ところで「We try 275」って何かね?実はこれ、普段運行に使っている「16両編成の100系」を使って、275km/hに挑戦しようというのです。前年に230キロ運転を始めた100系、大胆にも時速45キロものスピードアップです。
区間は、地方局の1990年当時のテロップ技術の粋を集めた【画像(2)】の通り。間にある新山口駅は、当時は「小郡(おごおり)」駅でした、懐かしい!
この106kmの区間で100系新幹線は、人々が眠るころ~俺は走り続けるゥゥ 、という訳です(Oh Oh いいことだよね)。
今回の車両は、【第7回】でもご紹介した2階建て車両4両の「グランドひかり」。その2階と1階の間の青色の帯にも、鮮やかすぎる山吹色で「We try 275」の文字です【画像(3)】。サンライトイエローでオーバードライブです。