# 仙台空襲
2024.07.11
「1399人」「1400人近い人」「1500人は下らない」… 仙台空襲の犠牲者、市史や展示で表記バラバラ
1945年7月10日に米軍が仙台市中心部を爆撃した仙台空襲から79年がたった。宮城県内最大の戦災にもかかわらず、犠牲者数や投下された爆弾の種類などは市史や展示によって異なる。戦禍の記憶を忘れず、できる限り正確に語り継いでいくため、市には再検証が求められる。(編集部・大芳賀陽子)
2024.07.05
「戦争はおじいちゃんおばあちゃんとつながっているんだ」戦争の記憶を展示 仙台
赤茶色の空を飛ぶ「B-29」から落とされた照明弾と焼夷弾。小学3年生のときに仙台空襲を体験した画家の佐々木健二郎さんが当時の記憶をもとに描いた1枚です。1945年7月10日の仙台空襲からまもなく79年。仙台市青葉区の戦災復興記念館では毎年この時期に「戦