客足途切れなかった繁盛店 ソウルフード「どさん娘 青垣店」 連載”まちの世間遺産”/兵庫・丹波市

AI要約

1978年12月に開店した兵庫県丹波市青垣町の飲食店「どさん娘 青垣店」が5月末で静かに営業を終了。店主の体調不良が理由で閉店し、長年愛されたラーメンと餃子が提供されなくなったことに地域住民が別れを惜しんでいる。

経営者の夫婦は閉店を残念に思いつつも、多くの人に支えられ感謝の気持ちでいっぱいだと語っている。店舗は今後更地になる予定で、後継者が現れなければ閉店後の予定は未定。

昔から愛された店は、地域の家族での外食や特別な思い出が詰まった「世間遺産」として捉えられており、閉店によりその価値がさらに高まっている。

客足途切れなかった繁盛店 ソウルフード「どさん娘 青垣店」 連載”まちの世間遺産”/兵庫・丹波市

 当たり前にありすぎるけれど、住民が大切にしていきたいもの「世間遺産」―。丹波新聞では、兵庫県丹波地域の人や物、景色など、住民が思う”まちの世間遺産”を連載で紹介していきます。今回は、兵庫県丹波市青垣町の飲食店「どさん娘 青垣店」です。

 同市青垣地域のソウルフード「ラーメン」「餃子」で人気を集めたが、5月末で静かに営業を終了した。1978年12月に開店、46年目のことだった。20年前、肺がんを克服した店主の松下明さん(69)が、心臓の病を患い、ドクターストップ。明さんは「思い出がたくさんあり過ぎて」とほほ笑み、「一生懸命調理した」と万感の思いを口にした。接客担当の妻、秀子さん(74)は「閉店を事前告知できれば良かったけれど、仕方がない。多くの人にかわいがってもらって感謝でいっぱい」と穏やかに話した。

 京都市出身の明さんは、18歳から料理人。妻の故郷で暮らすのに際し、当時、青垣に少なかった飲食店を開こうと考えた。働いた先が「どさん娘氷上店」(氷上町市辺)だった縁で、1年ほどたって独立した。

 メニューは46年ほぼ不変。ラーメンは「みそ」が人気で注文の7割を占めた。野菜を刻むところから手作りする餃子は、明さんが皮にあんをのせ、秀子さんが手際良く包む。甘くこくがある餃子のみそだれは、フランチャイズ本部からの購入をやめ、明さんが独自開発したレシピで作るようになり、人気に火がついた。

 2006年に北近畿豊岡自動車道春日和田山道路が開通し、車の流れが変わるまでは、阪神間からの海水浴客、スキー客が店の中、外に行列をつくり、多忙を極めた。5人で店を回していた時期もあった。

 今年に入り、明さんが体調を崩し、店は閉めがちに。「しばらく休みます」のはり紙が、「閉店のお知らせ」に変わったのは6月下旬。店舗は借り手、買い手がなければ、1年程度をめどに更地にする。「後をやってくれる人がいれば、みそだれを教えるし、昼なら私が手伝えます」と秀子さん。明さんは「もうおしまい。きれいさっぱりしたいという思いと、誰かやりたい人がいれば、の思いで揺れ動いている」と吐露する。

 最終盤は、昼のみの営業になったが、最後まで客足が途切れることがない繁盛店だった。多くの人の「家族で外食」の思い出が詰まった青垣の「世間遺産」は、「失われた世間遺産」になる岐路を迎えている。