「息子にも語らなかった」『虎に翼』寅子のモデルが挑んだ「原爆裁判」の中身

AI要約

SNSで共感の嵐を巻き起こしているNHKの朝ドラ『虎に翼』。登場人物の女性に自分を重ねて共感したり、励まされたりする一方、「約百年もたっているのに世の中はわずかしか変わっていない」といった思いを感じる人も少なくない。

三淵嘉子氏は、家庭裁判所の立ち上げに尽力し、後に「家庭裁判所の母」と呼ばれた法曹界のレジェンド。ドラマの主役・寅子のモデルとなった彼女の生涯に迫る。

嘉子は戦後「原爆裁判」に深く関わっていたが、その事実にまだ知られていない。現在も日米の間で広島・長崎の原爆投下に対する意識に差異があり、若者の間では賛成派も多い。

「息子にも語らなかった」『虎に翼』寅子のモデルが挑んだ「原爆裁判」の中身

 SNSで共感の嵐を巻き起こしているNHKの朝ドラ『虎に翼』。登場人物の女性に自分を重ねて共感したり、励まされたりする一方、「約百年もたっているのに世の中はわずかしか変わっていない」といった思いを感じる人も少なくない。

 ドラマの主役・寅子のモデルとなった三淵嘉子氏は、日本女性で初の司法試験(旧司法科試験)の合格者のひとりで、弁護士を経て裁判官(判事)、裁判長、裁判所所長を務めた法律家。なかでも家庭裁判所の立ち上げに尽力し、のべ5000人の少年少女の審判に携わったことで、後に「家庭裁判所の母」と呼ばれた法曹界のレジェンドだ。

 5月20日現在、ドラマで描かれるのは1942年(昭和17年)。先週末にはドラマの最後に前年の1941年(昭和16年)12月に太平洋戦争の始まりが告げられた。先週は金属類回収令で家庭にある鍋や釜などの日常品が回収されるシーンも描かれ、20日には、次第に迫る食糧難や、赤紙(召集令状)や戦争で民事裁判が減ることなども語られた。今後、激しくなる戦時の中、寅子や寅子を取り巻く人たちがドラマでどのように描かれるのかはわからない。しかし史実では戦中終戦直後、三淵嘉子はとても苦労し、さまざまな悲しみも味わう。

 そして戦後、嘉子はある大きな仕事(裁判)に関わることになる。それは嘉子の法律への信念の集大成ともいえる「原爆裁判」。ところが嘉子はこの裁判に深く関わっていたにも関わらず、生涯それを公言することはなかったという。

 今年は映画『オッペンハイマー』が話題になり、改めて原爆の脅威について考えた人も多かった。そして、GW明けの5月8日に、アメリカ共和党の上院議員が、イスラエルへの弾薬輸送をめぐる議論の中で、広島と長崎への原爆投下について「戦争を終わらせる正しい判断だった」などと発言をし、日本原水爆被害者団体協議会がアメリカ大使館に抗議文を送るという出来事があった。実際、少し前の調査だが、2015年アメリカの世論調査機関「ビュー・リサーチセンター」の発表によると、広島と長崎への原爆投下についてアメリカの若者の47%が「正当だった」と回答している。

 今も日米の間で大きく異なる原爆への意識。その原爆に関わる裁判に、嘉子が深く関わっていたという事実は、あまり知られていない。今回はそんな嘉子の知られざる大仕事について紐解いてみたいと思う。