「プリ帳・ラクガキ」重視の平成プリから一転…令和プリは「シンプル・リアル」、見えてきた「驚きの変化」

AI要約

プリントシール(プリ)が誕生してから30年以上が経ち、日本の文化として定着している。

プリは初期は記念撮影的な要素が強かったが、時間と共に落書きや加工が加わり、作成の手間が増えていった。

平成期に加工が主流だったプリ文化も、令和ではシンプルなプリが人気となっている。

「プリ帳・ラクガキ」重視の平成プリから一転…令和プリは「シンプル・リアル」、見えてきた「驚きの変化」

日本にプリントシール(以下、プリ)が誕生して30年近くが経とうとしている。プリは、1990年代後半から 2000年代前半にかけて大きなブームを巻き起こした。その後もプリは廃れることなく進化し続け、今では立派な「日本の文化」として定義付けられている。

初期のプリは、今と比べると画質は悪かったが、様々な種類のフレームがたくさんあり、記念撮影的な要素が強かった。2000年代に入ると、今度は落書きや加工が定番となっていき、平成プリの「礎」が確立していった。フレームから落書き、加工と平成プリは、写真に一手間を加えて完成する印象がある。

しかし、令和では平成の頃とは逆に、加工がない極めてシンプルなプリも人気だという。平成と令和でプリ文化はどのように変化してきたのだろうか? フリュー広報担当・門脇彩さんにお話しをお伺いしながら、その違いを探ってみた。

プリクラは1995年に誕生した。ゲーム会社アトラス(現・セガエンタープライゼス)から誕生した『プリント倶楽部』は、ブリントシール機(以下、プリ機)として、当初はアミューズメントパークに置いてあったが、テレビや雑誌で紹介されるとともに女子高校生を中心に大ヒット。当時は、有名人の画像や地域限定のご当地フレームも登場し、女子高生だけでなく、様々な世代に慕われた。

その後も廃れることなく、プリ機として一般化していった。2000年代に入ると、今度はペンタブレットの機能が搭載した機種が登場。写真に文字が書き込める機能が加わり、人気が加速した。さらに、美白機能が搭載した『花鳥風月』や人気読者モデルがプロデュースした機種なども登場し、多様な機能が搭載した機種の進化が続く。

『花鳥風月』や『ティンクルベリー』など美白機能のプリ機も大ブームになったが、2006年頃からは目ヂカラを強調するプリ機も登場。2007年には、『美人-プレミアム-』が人気を博した。

そして、2011年以降は、加工や「盛り」も、肌の質感にこだわったナチュラル志向へ変貌を遂げる。代表的なプリ機では、『LADY BY TOKYO』『PURI・MA・DONNA』が有名だ。