40代、「ものが少なくても満たされる」暮らし。自分の心にも向き合えるようになった

AI要約

デザイナーのasakoさんが、片づけと心の整理について語る。

余白が生まれた空間と心について考える。

ものを手放すことで気持ちにも余裕が生まれる。

40代、「ものが少なくても満たされる」暮らし。自分の心にも向き合えるようになった

日々の暮らしを綴るVlogが人気を博し、自身のYouTubeチャンネル「hibi hibi」の登録者数は13万人を超える、デザイナーのasakoさん。ものを手放し空間に余白ができたことで、気持ちにも余裕が生まれたと言います。ここでは、asakoさんにとってのものの取捨選択基準や、片づけと心を整理することの関係などについて語ります。

7年ほど前に大がかりな片づけを決行し、いらないものを手放しました。すると、空間に余白ができ、見た目がすっきりしただけでなく、気持ちにも余裕が生まれました。

床の間の余白を眺めていると、気持ちがゆったりと落ち着いてくる感じと同じ。そこがたとえ、収納場所だとしても、余白には豊かさが詰まっているのだと思います。

以前はものであふれていたキッチンキャビネットの中も現在はすっきり。空き箱や木片で仕切りをつくり、各アイテムの収納場所を固定したら、不用意にものが増えなくなりました。

瞑想を習慣にして以来、もの心両面で持ちすぎないことに目が向くようになりました。では、今まで持ちすぎていたものをどう手放すか、ですが、いろいろ考えた結果、「今の自分にとっての心地よさ」を取捨選択の判断基準にすることにしました。

思い出があるからとか、まだ使えるからなど、いくらでも理由をつけて置いておくことはできます。でも、今それを使って、自分は満足できるのかというとそうではありません。むしろ、そのものに占拠されているスペースや自分のこころが、もったいないのですよね。そのことに気づいてからは、「ありがとう」と、お別れすることにしています。

たとえば、お気に入りだけど、もうヨレヨレのカーディガン。「これを着たときに心地いいかな?」と自分に問うと、気分は上がらないんですよね。これはもう、さよならしていいもの。器も状態はいいけれど、ほぼ使わないものが食器棚の中であふれ、幅をきかせていました。これも、さよならしていいもの。

手放すときにこころが痛みますが、この痛みが、「むやみに欲しがるこころ」の抑止力になるのではないかと思います。また、こうやってひとつひとつのものに向き合っていると、自分が今、何を大切にしているのかがクリアになっていくのですよね。取捨選択というのは「残すもの」、つまり「大切にしたいもの」を選び取る行為でもあるから。これは、ものに限らず、できごとや人づき合い、仕事の面でも言えること。

積み重ねるのが人生だから、手にすることはすんなり受け入れてしまうけど、手放すことには躊躇してしまう。でも、収納スペースに限界があるように、人の器にも限界があります。しかも、器の大きさは人それぞれ。得たものが、誰かと比べて多い、少ないではなく、今の自分にとって心地いいか、どうかが肝心だと思うのです。

今、住んでいる空間、家族構成、生活パターンにいくら愛着があったとしても、いつかは変化するときがきます。その愛着に固執するとしんどくなる一方ですが、人は「今」を生きるもの。悲観しなくても、そのときに大事なことがきっと目の前にあるはずなのです。いつだって今、今、今の連続だから。

実際、これまでにたくさんのもの、ことを手放してきましたが、ほとんど思い出せません…。今に必要のないものは、持っていなくても大丈夫ってことです!