殉職警察官ら弔う「弥生慰霊堂」 警視庁150年 75/150

AI要約

明治以降の殉職した警察官を弔う場所である弥生慰霊堂の歴史と意義について紹介されている。

弥生慰霊祭が毎年10月13日前後に行われ、初代警視総監の命日を追悼する様子も描かれている。

危険な業務や長年の体の酷使によって命を落とす警察官への感謝と悲しみが示されている。

殉職警察官ら弔う「弥生慰霊堂」 警視庁150年 75/150

過激派による襲撃、凶悪犯の追跡、人命救助…。無念にも勤務中に命を落とした警察官を弔う場所がある。

皇居の北側に位置する北の丸公園の、日本武道館に面した田安門を通り抜けるとあるのが「弥生慰霊堂」だ。関東大震災や東京大空襲、あさま山荘事件などで明治以降に亡くなった警視庁警察官と、東京消防庁や皇宮警察本部の殉職者の霊が合祀(ごうし)されている。

始まりは明治初期。明治10年の西南戦争に出征した警視庁の「警視隊」や軍人の殉職者は靖国神社に合祀されている。だが、凶悪な犯人と対峙したり、疫病対策に当たったりするなどして命を落とした警察官や職員を追悼する場はなかった。18年に当時、警視庁の用地だった本郷区向が丘に神社を創建し、地名にちなんで「弥生神社」と命名した。

その後、各地に移転され、国家神道が廃止されたことで昭和22年に「弥生廟」と改称され、現在の北の丸公園(千代田区)に移設された。58年9月に現在の弥生慰霊堂となった。

危険な業務だけではなく、不眠不休の大規模警備や長期に及ぶ捜査、新システムの整備など長年の体の酷使で病に倒れ、命を落とす警察官も少なくない。

弥生慰霊祭が行われるのは毎年10月13日前後。大警視、川路利良(初代警視総監)の命日だ。職に殉じた職員の功績を顕彰してその霊を慰めている。(大渡美咲)