世界が絶賛した伝説のカクテル「ミスターK」の甘みに隠されたバーテンダー秘史
澤井慶明は日本でバーテンダーを職業として確立し、多くの偉業を成し遂げた。彼の功績は今も多くの人々によって称えられている。
「ST.SAWAIオリオンズ」は澤井が開いたバー・ラウンジであり、彼の歴史と影響力を現在も感じることができる。
澤井の影響は1972年に始まり、彼のオリジナルカクテル「MR.K」は日本のバーテンダーたちに多大な影響を与えた。
日本全国のバーテンダーたちに語り継がれている偉人の名前をご存じだろうか。
澤井慶明(享年72)――。日本でバーテンダーを職業として確立した澤井が心筋梗塞で突然、他界したのは2006年9月13日のこと。その1年後、東京・銀座7丁目にある澤井の店には、弟子や常連客、約120人が集まり「ミスター・バーテンダー」の功績を偲んだ。
その店は、澤井が亡くなって18年を経た今も、同じ場所で当時のままのスタイルで営業をつづけている。
「ST.SAWAIオリオンズ」は、1972年(昭和47年)に澤井が開いたバー・ラウンジである。
店内を優しく照らすシャンデリアの下で革張りのソファーに腰かけて、グランドピアノの音色とともにカクテルやウィスキーを楽しんだ著名な文化人や経営者、企業人は、数知れない。185平米の店舗にカウンターやテーブルに80席を備え、濃密な歴史を刻んできた重厚な店内は、昭和の古き良き時代を令和の今に伝えている。
澤井の死後、50年前に沖縄から上京して澤井に師事した屋良利宗が引き継ぎ、営業を続けてきた。
コロナ禍による経営難と働き手不足により、今年の5月に一度は閉店を余儀なくされたが、7月23日、彼の弟子や孫弟子たちや銀座の実業家らによって再び営業をはじめた。
「ST.SAWAIオリオンズ」は9月13日にミスター・バーテンダーの18回目の祈りの日をむかえる。
7月下旬、再開したばかりの店内を筆者は体験させてもらった。
カウンターに座るとスコッチのハイボールがそっと出され一息つく。また、国産和牛を甘みのあるあっさりとしたグレイビーソースと西洋わさびとで味わう絶品のローストビーフに舌鼓を打った。
筆者をここに連れて来てくれたのは、友人のエコノミストの田代秀敏である。しばし、彼が6月に訪れてきたばかりの上海や蘇州で見てきたことに耳を傾ける。また、大手証券会社の為替アナリストを紹介されて、円安と日銀の利上げについて議論を交わした。いまではほとんど見ることができなくなったラウンジバーの楽しみが凝縮された、夜の銀座らしい濃密な時間だった。
しばらくすると、屋良が伝説のカクテルを出してくれた。
澤井慶明のオリジナルで、「MR.K」と名付けられたそのカクテルは、澤井の最愛の息子のために作られたカクテルだという。
ブランデーの「ヘネシー」をベースに、イタリアのリキュール「ガリアーノ」と生クリームをあわせる。目を閉じて丁寧にシェイクする屋良の表情からは、「MR.K」のレジェンドが伝わってくる。グラスに注がれた甘い香りのするカクテルは、カカオパウダーで「K」とあしらわれていた。
このカクテルが、今を生きる日本のバーテンダーたちの人生を決定づけた。
1967年(昭和42年)、「MR.K」で澤井はスペインで開かれた国際バーテンダー協会(IBA)のカクテル・コンテストで、最優秀技術賞の金杯を受賞したのだった。日本のバーテンダー史は、この受賞からはじまったといっても過言ではない。
さらに澤井は1978年に、「独自な熱意と明確なる指導方法により日本国のバーテンダー諸氏に自信を与え、極東のみならず全世界にIBAの存在意義を確立した」としてIBAから第1回国際アンジェロ・ゾラ賞を審査員の満場一致で授与され、名実ともに世界の頂点に立った。
澤井慶明とはどんなバーテンダーだったのだろうか。
文中敬称略
つづきは、後編『52年目を迎えた銀座の「老舗バー・ラウンジ」が令和のいまも営業できるワケ』で紹介していこう。
●ST.SAWAIオリオンズ
東京都中央区銀座7-3-13ニューギンザビル1号館10F
TEL:03-3571-8732
営業時間:18:00~翌3:00
定休日:土日祝