致死薬の点滴を自ら体内に流し込んだ81歳の英国老婦人は20秒で口が半開きに…直前に流した大粒の涙の理由

AI要約

致死薬が体内に流れ込んだ老婦が安楽死を選び、医師の介助で穏やかに最期を迎えた。

老婦は人生を満喫し、検査と苦しい治療を選ばず、自らの意思で安らかな死を選んだ。

取材を通じて安楽死に対する考えを深めた著者が、安楽死という選択について考察している。

■致死薬が体内に流れ込み老婦はうたた寝を始めた

 「ドリス、用意はできていますか」

「ええ……」

 突如、英国人老婦の青い瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。右手に握っていたくしゃくしゃになったティッシュで目元を拭い、震えながら振り絞った声で、こうささやいた。

 「うう、ごめんなさい。こうなることは前々からわかっていたというのに」

 30度ほどリクライニングしたベッドに仰向けになった老婦にエリカ・プライシック女性医師が「大丈夫よ」と微笑み、質問を始めた。

 「名前と生年月日を教えてください」

「ドリス・ハーツ(仮名)、1934年4月12日」

「なぜ、ここにやって来たのですか」

「昨年、がんが見つかりました。私は、この先、検査と薬漬けの生活を望んでいません」

「検査を望まないのは、これまで人生を精一杯生きてきたからですか」

「ええ、私の人生は最高でした。望み通りの人生を過ごしてきたわ。思い通りに生きられなくなったら、そのときが私にとっての節目だって考えてきましたから」

「私はあなたに点滴の針を入れ、ストッパーのロールを手首に着けました。あなたがそのロールを開くことで、何が起こるかわかっていますか」

「はい、私は死ぬのです」

「ドリス、心の用意ができたら、いつ開けても構いませんよ」

 この瞬間、老婦は何を思い浮かべたのだろうか。人生の終幕か、それとも、10年前に死別した夫との天国での再会か。わずかに息を吸い込むと、自らの手でロールを開き、そっと目を閉じた。

 プライシック医師は、老婦に向かって、「もう大丈夫よ、もう少しで楽になるわ」とつぶやいた。15、16、17秒……、そして20秒が経過したとき、老婦の口が半開きになり、枕にのせられていた頭部が右側にコクリと垂れた。まるで、テレビの前でうたた寝を始めたかのようだった。2015年の末から、私は、安楽死の現場を取材してきた。スイスを皮切りに、オランダ、ベルギー、アメリカ、スペイン、日本の6カ国で安楽死の現場を取材し、『安楽死を遂げるまで』と『安楽死を遂げた日本人』の2冊(ともに小学館)を上梓した。以来、世界では安楽死を容認する国々が次々と現れていった。

 生を断念することは、罪なのか――。患者、家族、医師たちの生き様や葛藤を取材するにつれ、日々、私の考えは揺らいでいった。しかし、安楽死という死に方、つまり意図的に死期を設ける人々に対する思いは、各国での取材を終えてから現在に至るまで、あまり変化していない。

 そもそも、安楽死とは何か。私は、医師の介助で致死薬を用い、人工的に死を早める行為を「安楽死」と呼んでいる。だが、その最期の迎え方にも、2つの異なる医療措置がある。

 ひとつは、患者自らが致死薬入りの水を飲み干すか、その薬が入った点滴のストッパーを開け、体内に流し込んで自死する「自殺幇助」という措置。もうひとつは、医師が注射に入れた劇薬を患者に直接投与し、死に至らせる「積極的安楽死」という措置だ。