「みよしの文字に感じる父」に「信頼された医師」長崎の精霊流し 船に託した「ありがとう」を花火と爆竹に乗せて

AI要約

清二郎さんの遺族が2024年の精霊流しを通じて、彼の生涯や人柄を偲びます。優しさや倹約家であった清二郎さんに対する愛情が描かれます。

清二郎さんは野球好きで真面目な方だったが、家族にとっては心温まる思い出の源であり、慎重かつ慈愛に満ちた父であったことが見え隠れします。

家族や友人ら120人が集まり、清二郎さんへの感謝と想いを込めて精霊船を見送る様子が描かれ、物語は感動的な結末を迎えます。

「みよしの文字に感じる父」に「信頼された医師」長崎の精霊流し 船に託した「ありがとう」を花火と爆竹に乗せて

故人の御霊を船に乗せて送る長崎のお盆の伝統行事「精霊流し」が2024年も各地で行われた。趣向を凝らした船からは生前の故人の人柄がしのばれる。当日は想いを込めて花火と爆竹で盛大に見送った。

お父さん、そちらで何してますか?57年間近く寄り添って生活をしてきたので、とても寂しいです。8月15日、精霊船は子供たちと共に心を込めて流します。本当に幸せでした。ありがとうね。(妻・勝子さんの手紙の一部を引用)

妻が亡き夫への想いを手紙にしたためた。夫・清二郎さんは2024年2月、前立腺癌で亡くなった。

「とにかく真面目な人だった」と妻の勝子さんは振り返る。

小さい頃から野球を続けてきた清二郎さん。高校時代には野球部でキャプテンを務めた。

甲子園の夢はかなわなかったものの、卒業後は社会人野球に打ち込んだ。 仕事を続けながら、30代では県内の高校の野球部の監督も務めた。

長男の祐一郎さんは「弟と3人でキャッチボールをしたり、思い出はたくさんある」と野球をしていた父を振り返る。一方で、慎重で倹約家な父でもあった。

「石橋を叩いて叩いて渡るかなと思ったら渡らないタイプ」と家族は笑う。秋山家では冷房は令和になってようやく取り付けたそうだ。清二郎さんは「必要ない。もったいない」と言っていたのだ。それくらい倹約家で、物事を決めるのも慎重だった。

「今回の精霊船は母が天国に行った時、「無駄使いしている」と言って怒られると思う。」と息子たち。「気持ちは喜んでるんでしょうけど」と勝子さんは夫を思い出しながら微笑んだ。さらには子供の意思を尊重してくれる父でもあった。父の優しさは今でも忘れることはない。

船の制作では、船首部分の「みよし」の文字にこだわった。

家の表札は清二郎さんの直筆。その文字をみよしに使った。父を直に感じる船に仕上がった。

当日は親戚や職場の仲間、友人など120人ほどで船を流した。勝子さんは「57年間一緒に生活していて、衣食住何も心配することなく生活できたことに感謝したい」と夫を見送った。