スマホによる「常時接続」がもたらす変化と「ネガティヴ・ケイパビリティ」の新しい可能性

AI要約

現代は、常時接続時代によって情報の洪水に晒され、スマホやSNSが引き起こす<孤独>と<自己対話の不足>の危険について、哲学者の谷川嘉浩先生が警鐘を鳴らす。

SNSやショート動画などはジャンクなストレスコーピングに過ぎず、情報過多により不安を解消する対症療法に過ぎない。本質的な解決にはつながらない。

<寂しさ>は他者がいるのにつながれない感情であり、常時接続により物理的距離が広がり、FOMO(Fear Of Missing Out)という不安が生まれる一方、<孤独>は自分自身と過ごす時間であり、自己と対話し心を分けることが重要である。

スマホによる「常時接続」がもたらす変化と「ネガティヴ・ケイパビリティ」の新しい可能性

現代は、誰か・何かと常につながり、時間やマルチタスクに追われ、情報が洪水のように流れ込む「常時接続時代」。スマホやSNSにより<孤独>そして<自己対話の時間>が失われつつあることの危うさについて、哲学者の谷川嘉浩先生にお話を伺いました。

■SNSはジャンクなストレスコーピング。本質的な解決には結びつかない

――急速にモバイル機器が普及した結果、私たちは空いた時間をスマホでの情報収集やSNSに使うようになりました。哲学の視点から見て、その問題点とは一体何なのでしょうか?

谷川先生:スマホを使うということは、情報や刺激の濁流に身を置くことです。特にSNSなんて、様々なコンテンツが驚異的な速さで流れてきますよね。そして、関心がなくても無意味にそれを見てしまうことも多い。

どんどん違うものが流れてくるショート動画系なんて特にそうです。つい見てしまいますが、振り返ってみると特に何も得ていないことも多いです(笑)。たぶん、実際はそんなに楽しくないんですよ。

――確かにずっとショート動画を観ていると、暇はつぶれますし、なんとなく楽しい気持ちにもなりますが、記憶に残るものは少ない気がします。「無」をたくさん観て、なんとなく面白がっているだけなのかもしれません。

谷川先生:さまざまなジャンルの動画が数十秒で切り替わっていくショート動画は、うすーく楽しい刺激です。認知のリソースそこまで使わなくてもいい代わりに得るものは少なく、暇だけつぶして通り過ぎていく。

いろいろな種類のジャンクフードや強いアルコールで口寂しさを満たしているイメージですね。おいしいけれど大味なので、情報量がうすいから、注意深い鑑賞や観察に堪えない。SNSでの暇つぶしはそんな感じです。

しかし、これは現代で選ばれやすいジャンクなストレスコーピングのひとつだと思います。注意を分散すればするほど、ひとつひとつのことに集中しづらくなり、「ちょっとした酩酊状態」になれるんですよ。この状態でいると、心の中の不安やモヤモヤから注意を逸らせます。

――「ストレスコーピング」と聞くと、悪いものではないのかもしれない、とも思えてきましたが、常時接続によるデメリットとは何なのでしょうか?

谷川先生:「ちょっとした酩酊状態」になることは、意識を消して手っ取り早く自分の不安を払っている状態です。熱があるから解熱剤を飲むみたいな対症療法で、これは根本原因に向き合うようなやり方ではない。対症療法も別にやってかまわないんですが、「ジャンクな刺激」で不安から注意を逸す以外のやり方ができないと困る。本質的な意味で不安を受け止めることができないままですし、解決には至らないからです。ジャンクフードや強いアルコールがその場では楽しい気がしても、長期的に見ると心にも体にもよくないのと同じですね。

■<寂しさ>とは、他者がいるのにつながれない状態に感じるもの。<孤独>とは別物です

――それでは、私たちはどのようにして本質的に自分の不安やショックを受け止めればよいのでしょうか? 例えば寂しさによって不安を感じるときは、ついスマホで「孤独」を埋めてしまいがちな人は多いと思います。

谷川先生:まず、<寂しさ>と<孤独>の違いのお話をしたいと思います。ハンナ・アーレントという哲学者の定義を引用させてください。

彼女は<寂しさ>を人に囲まれているときに感じる感情だと言っています。他者がいるのに、その他者とつながれない状態に感じるもの、ということです。そして現在はその<寂しさ>の物理的な距離が広がっています。

常時接続によって、「遠くで誰かがワイワイやっている」ところをいつでもどこでも見ることができるようになりました。その結果、身近ではない盛り上がりに対しても「取り残されている気がする」と感じてしまう。物理的に距離のある<寂しさ>も生まれてしまったんです。

この<寂しさ>とは、まわりから取り残されることへの恐れです。ちなみにインターネットやSNS上で起きる<寂しさ>には「FOMO」(Fear Of Missing Out)という名前がついています。これは最新情報をリアルタイムでチェックしないと、盛り上がっているメディアを見ていないと、ずっと連絡を取り続けていないと、取り残されてしまうのではないか……という不安のことです。

――それは<孤独>とどう違うのでしょうか? 「孤独=一人=寂しい」と思い込んでいました。

谷川先生:ハンナ・アーレントは<孤独>を「自分自身と過ごしている状態」のことだと言っています。この孤独の時間は、「一人の中に二人いる」だとも表現されるんですね。これは、自分の中にいくつかの自分がいて、その自分たちと過ごす……という意味です。二人と言わず、何人いてもOKだと僕は考えています。

シンプルに言うと「心を分ける」ということです。