建築家・井上洋介さんが認めた「世界一の豪邸」は横浜の豪商がつくった奇跡の理想郷!

AI要約

井上洋介さんが語る、自然と調和した理想の住宅について。庭園や古建築が感じさせる古都を旅する喜び、そして市民にも開放される心の広さ。

横浜・本牧にある日本庭園、三渓園の魅力。17棟の日本建築や広大な敷地が見せる理想の郷、創設者原三渓の思い。

井上洋介さんが語る理想の豪邸とは、自然と一体になり心を解放する空間をつくること。条件にとらわれない建築家の自在な発想。

建築家・井上洋介さんが認めた「世界一の豪邸」は横浜の豪商がつくった奇跡の理想郷!

「人に愛され、長く使われ、静かにその土地になじんでいく。そんな住宅をつくっていきたいと思っています」と語る井上洋介さん。

そんな井上さんが惹かれたという「世界一の豪邸」と、その理由を語っていただきました。

「自然風につくられた庭。山の風景、海の風景。散策する喜び。園内に立つさまざまな古建築。

古都を旅するような喜びが感じられる環境。一人の人間の審美眼と遊び心によってつくられた理想郷のような場所です。そして、この場所を個人で楽しむだけでなく、市民に開放し、楽しんでもらうという心の大きさ。訪れるたびに、建築は人との出会いだなと思います」

三渓園は横浜・本牧にある日本庭園です。17.5ヘクタールの敷地内には17棟にも及ぶ日本建築の建設や移築がされており、そのうち10棟は国の重要文化財建造物、3棟が横浜市指定有形文化材建造物に指定されています。

2006年には国の名勝に指定されました。創設者は明治時代の実業家で茶人の原三渓(原富太郎)。三渓は生糸貿易で財を成し、その富を文化の保護、横浜の都市開発、福祉など社会へ広く還元した人物として知られています。

三渓園は自らの号である「三渓」にちなんで名付けられたもので、生前「この明媚な自然の風景は創造主のものであって、私有物ではない」と自ら明言。

1906年(明治39年)から広く一般に無料公開されました。

原三渓の没後も三渓園はその遺志を受け継ぎ、1945年の空襲で大きな被害を受けた後も復旧・復原工事が施され、現在まで横浜市民をはじめ多くの人に愛され、「東の桂離宮」とも称される存在です。

「何といっても立地がいちばんだと思います。理想の『豪邸』は、理想郷のようなもの。自分の気に入った場所に自然と一体になって、心を解放してくれる空間をつくる、これに尽きます。

そして条件にとらわれず、建築家自身が本当につくりたいものを、つくりたいようにつくる、そんな住宅ではないかと思います」と井上さん。

この三渓園はまさに、井上さんが語る豪邸のイメージそのもの。創設者の原三渓にとっても、理想郷のような存在だったといえるでしょう。

(モダンリビング237号掲載)