幸運な出会いと一抹の寂しさ…乗車料金2万円以上の乗客は、高校の同級生だった【タクシードライバー哀愁の日々】

AI要約

仕事効率を上げるためのコツを教えてもらった新人タクシードライバーが、ワンメーター客を大事にし、意外な高額の長距離客に出会う。

同窓会で初めて経験を語り合うお客と思わぬ縁を感じるが、過去の繋がりを明かさず、半世紀ぶりに再会した同級生との交流を後悔する。

幸運な出会いと一抹の寂しさ…乗車料金2万円以上の乗客は、高校の同級生だった【タクシードライバー哀愁の日々】

【タクシードライバー哀愁の日々】#29

「効率よく稼ぐコツなんてあるんでしょうか」

 ドライバーになりたての頃のこと。同じ会社のある先輩ドライバーに尋ねてみたことがある。無口だが、いつも柔和な表情を浮かべていて、私の悩みに耳を傾けてくれる人だった。500人以上のドライバーの中で売り上げは毎月コンスタントにベスト10に入っていた。

「そうだね。いちばん大切なことは、手を上げる人がいたらアレコレ考えずに黙って乗せることだよね。単純なことなんだよ」

 穏やかな表情で話しながら、こうつづけた。

「ワンメーターのお客にガッカリする人がいるけど、それはおかしいよね。降ろした場所にどんなお客が待っているかなんて誰にもわからない。ワンメーターの上野から秋葉原まで乗せて、次のお客が“成田まで”っていうかもしれない」

 バブル期、夜の繁華街のタクシー乗り場では、先頭でホステスさん風の女性客が待っているのを見ると、近距離客と判断して、突然、表示ライトを「空車」から「回送」に切り替えて走り去るタクシードライバーも少なからずいた。

 私はこの先輩ドライバーの教え通りつねに「手を上げたお客を乗せる」を基本にしていた。3年ほど前のこと。土曜日の夜、銀座でワンメーターのお客を降ろし、「回送」にして会社に戻ろうとしていた。すると「いいですか?」と初老の男性。私はドアを開けた。すると「埼玉の久喜市まで」とうれしいご用命だ。私の生まれ育った街に近い。2万円以上の料金が見込める。「東北道の久喜インターでよろしいでしょうか」と尋ねると「そう。それでお願いします」。高速道路、とくに東北道は混雑もなくスムーズに走れる。なにより料金も出る。上客中の上客である。私の思いを察したのか、同世代と思わしき男性客はほほ笑みながら話し出した。

「今日は卒業して初めて高校の同窓会に参加したんだ」とうれしそうにいう。「皆さん変わっていたでしょう」と私。すると機嫌よさそうに「じつは当時のある体験を話したんだ」と話しはじめた。乗車時間は1時間くらいになりそうだ。

「えっ、どんな体験ですか、お聞かせいただければ」

 私は退屈しのぎに話を聞こうと合いの手を入れる。すると、そんな言葉を待っていたかのように話し出す。職業は開業医だという。

「僕は180センチの背丈なので目立っていた。そのせいか、あるとき他校の不良に絡まれてね。流れでタイマンを張る羽目になったんだ。そいつから友達が腕時計をゆすり取られていたのを知っていたし、それを取り戻してやろうと……。相手はイキがってベルトの代わりにチェーンを巻いている。でも瞬殺の一本勝ち。僕が学ランの胸元を掴み払い腰で転がし、すぐに膝を首に当てた。相手は僕が柔道部で黒帯なのを知らなかったんだね」

 さらにつづける。

「その件で退学になりそうだったけど、ある若い先生が猛反対してくれて停学ですんだんだ。その先生がいまは僕の病院の患者さん。僕が恩返しをする番だよ。人生はわからないね」

■自分の素性は明かせなかったけれど

 話の内容から、私は驚くべきことに気づいた。なんと、そのお客は私と同じ高校の同級生だったのだ。親しく口を利くことはなかったが、バックミラーに映るその顔に見覚えがあった。素性を明かそうかとも思ったが、なぜか私はやめた。

「ドラマですね。いいお話をお聞かせいただきありがとうございました」

 お客が降りるとき、私は丁重に礼を言った。「ワンメーター客の先の長距離客」という幸運な出会いではあったが、帰路、「私には同窓会の案内状は来なかったな」と一抹の寂しさを感じていた。そして、一人の同窓生とも交流のなかった半世紀をちょっぴり悔やんだりもしていた。

(内田正治/タクシードライバー)