能登半島地震から7ヵ月…世界の是枝デビュー作『幻の光』が「いま再上映される理由」《プロデューサーが明かす”29年前の記憶”》

AI要約

映画『幻の光』のリバイバル上映が、輪島市の復興支援として始まる。

撮影時のエピソードや地震後の思いから、再上映プロジェクトが立ち上がる。

全国24館での上映が決定し、収益の半分近くが地元復興支援に使われる。

能登半島地震から7ヵ月…世界の是枝デビュー作『幻の光』が「いま再上映される理由」《プロデューサーが明かす”29年前の記憶”》

是枝裕和監督が今から29年前、石川県輪島市を舞台に撮った映画『幻の光』のリバイバル上映が、8月2日から東京・渋谷のBunkamuraル・シネマで始まる。

「日本映画のリバイバル上映は珍しいことなんですが、この映画は輪島の人たちと『一緒に作った』作品。今、復興に苦しんでいる輪島の人たちのために映画ができることを考えたんです」

この映画の企画、プロデュースをした合津直枝さんはこう言って、1995年の劇場用パンフを見せてくれた。

「是枝くんはこれが長編デビュー作、つまり当時は全くの新人監督でした。プロデューサーのわたしも新人、主演の江角マキコさんも映画は初めてというチームで、テレビマンユニオンでテレビ番組を作っていたわたしは、映画の企画を立ち上げたもののなかなか進みませんでした。

撮影の資金もなく、もう無理、映画は諦めようと絶望しかけた時、輪島の人が手を差しのべてくれた。撮影に協力しましょう、お金は出せないけどできることはなんでもしますと、わたしたち新人チームを助けてくれたんです。

そんな輪島が震災にみまわれて、恩返しをしなければと強く思いました」

1月1日、能登半島で大きな地震が起きた。合津さんは、お世話になった輪島の街が焼け落ちたニュースに、なにかしたいと思った。

「寒い季節だったので、靴下とか肌着を送ろうと思ったんです。でも、違った。物資を送っても配れないしかえって迷惑。じゃあなにができるのかと考えた時、私たちが作った映画で、と思い至りました」

そうして2月には『幻の光』を再上映して、その収益を現地に送るというプロジェクトが立ちあがった。そこからは、話が早かった。是枝監督は再上映を快諾、製作したテレビマンユニオンも、社として支援を決めた。

「製作当時は、撮影はもちろん、上映館を探すのにも、ものすごく苦労しました。でも今回、能登のために再上映をしたいと持ちかけたら、まずル・シネマが賛同してくれました。そこから、デジタルリマスターの作業をして、8月の上映が実現したんです」

東京に続き、趣旨に賛同する映画館はどんどん増えて、これまでに北海道、沖縄まで全国24館が、今後の公開を決めている。各地の映画館で売り上げた収益のうち、経費を除いた全てが寄付にあてられるという。今のところ、鑑賞料金の半分近くが寄付できる見込みだ。