東北で民話を記録する「採訪」の旅を50年以上続ける小野和子さん 忘れられない語り手たちの人生をつづる新刊

AI要約

小野和子さん(90)=仙台市=は50年以上にわたり東北地方の民話を記録してきた。自身の営みを「採訪」と呼び、民話の語り手の人生に焦点を当てた新刊を出版した。小野さんは民話の重要性を強調し、聞き手がいなければ忘れられ消えていってしまう民話の存在を訴えている。

清水チナツさん(41)=北九州市出身=は小野さんとの出会いを通じて民話の重要性を学び、共に民話を広める活動を行ってきた。2人は新たな出版活動に向けて準備を進めており、民話の伝承と価値を伝え続けている。

新刊には8人の民話の語り手の来し方が記されており、現実の苦難を背負いながらも生きる知恵を民話が伝えることを示唆している。民話は歴史や文化を伝えるだけでなく、人々の心を豊かにし、救いをもたらす存在として重要視されている。

東北で民話を記録する「採訪」の旅を50年以上続ける小野和子さん 忘れられない語り手たちの人生をつづる新刊

 誰に頼まれたわけでもなく、山奥の村や海辺の町を一人で訪れ「民話を聞かせてください」と家々の戸をたたいた。小野和子さん(90)=仙台市=は宮城県を中心に東北を歩き、話をせがみ、50年以上にわたり民話を記録してきた。自身の営みを「採訪」と呼ぶ。<むがぁーす、むがぁす(昔々)>。無名の民が小野さんに託した民話と採訪の旅をつづった前作「あいたくてききたくて旅にでる」(2019年)に続き、新刊の「忘れられない日本人 民話を語る人たち」では語り手の人生に焦点を当てた。2冊を一緒に作ったのは小野さんの「若き友」、キュレーターで編集者の清水チナツさん(41)=北九州市出身。2人を仙台に訪ねた。 

 小野さんは岐阜・飛騨高山の生まれ。東京女子大で児童文学を学び、24歳で結婚し仙台へ。35歳、3人目の子が1歳になった頃に採訪を始めた。日曜日は大学教員の夫に子を託し、バスで日帰りした。夫は最初の読み手として、いつも面白がってくれた。41歳で「みやぎ民話の会」を設立。足を運び話を聞く日々をライフワークとして積み重ねてきた。

 なぜ民話に引かれたのか。戦争が残した「目に見えない傷だったのかも」と小野さんは思う。終戦の夏、家屋疎開の命令に伴って自宅の土蔵や家を自分たちで解体した。作業が終わるころに玉音放送が流れた。学校では教科書に墨を塗らされた。信じるに足るものとは何か。長年考え続ける中で民話の語りに出合った。「日本の土台文化を支えてきた人々のつつましさに心を奪われました」

 50歳も年の離れた2人が会ったのは東日本大震災後の2011年。民話の会と学習施設「せんだいメディアテーク」は録音テープをデジタル化し、映像も記録して公開する取り組みを始めた。メディアテークの担当学芸員が清水さんだった。採訪に同行し、山奥で話を聞かせてもらうたび「この世も捨てたもんじゃないと思うでしょ」と小野さんは言った。顧みられず、価値がないとされてきた周縁の人々の語りに耳を傾ける行為。それは人がそこに生きたことを証明すると同時に、お互いにとっての「救い」なのだと清水さんは気付かされた。

 私家版の採訪記を広く読んでもらおうと、清水さんは仲間と出版社を興し「あいたくてききたくて旅にでる」を刊行。累計1万部に達している。

 新刊は民話の語り手8人の来し方をつづる。大正生まれの佐々木トモさんは、祖母の語る民話と育った。寒冷地の貧しい集落。「むがし語れ」とせがんでくれた友人やいとこはよそへ「貸され(売られ)」た。体が弱いトモさんは残り、山向こうの家に嫁いだ。そこでも姑から話をせがまれ、皆がトモさんを囲んだ。そんな幸せな光景をテレビが変えた。人々はテレビを囲み、昔話は記憶に閉じ込められた。

 小野さんは、トモさんが覚えていた民話を約300ページの本にまとめたことがある。完成直前に「語らねえでしまったが、ここにもうひとつあんのす」と、トモさんは胸を手で押さえ、意を決したように語り始めた。おじいさんとおばあさんが茶の間でまりをつく話は貧村が経験してきた悲しい身売りが題材。最後まで口にできなかった物語だった。民話とは、切実な現実を背負いながら、その重みに耐えて生きる知恵でもあった。

 他に、268編も記憶していた永浦誠喜さんや、当初は「まだ語れねえちゃ」と返されたが、親しくなり10年後に語ってくれた佐藤玲子さんらとの出会いをつづっている。

 宮城に民話が多く残っていたわけではなく「聞き手がいた」のだと小野さんは強調する。聞き手がいなければ忘れられ、消えていくしかない民話。誰しもの古里に、いつか聞かれることを待ちつつ失われた無数の民話があったのだろう。

 タイトルは宮本常一の名著を連想させる。「忘れられない日本人はたくさんいたのに、誰も気付かなかったし価値も置かなかった。摩滅していった無数のものの上に、ようやく私たちは立っているんです。そのことを忘れないでいたい」。小野さんの言葉に清水さんは深くうなずいた。2人は3作目の準備を進めている。

■「忘れられない日本人」はパンプクエイクス刊、3520円。